2015年8月17日(月)(憲法千話)
憲法便り#1184:朝日新聞編集委員上丸氏への協力中止の真相(15)研究の盗用に到る経過②(第二版)
「剽窃(ひょうせつ)」という言葉を知ってはいたが、72年間の人生において、私は初めて使う。
『広辞苑』は、次のように説明している。
「ひょうせつ【剽窃】(「剽」は、かすめとる意)他人の詩歌・文章などの文句または説をぬすみ取って、自分のものとして発表すること。「他人の論文をーする」
興味深いことに、分野は違うが、時あたかも、東京オリンピックの「エンブレム」の盗作問題が、盛んに論じられている。この際、徹底的に追及すべきであると思う。
私も、上丸氏による研究盗用について、徹底的に追及したいと思う。
ここに展開するのは、「非難」ではなく、
朝日新聞編集委員という肩書きを持つ上丸氏の、「他人の研究を盗用して恥じない態度」、「知的財産を侵害して何とも思わない社会的非常識」に対する、学問的立場からの「批判」である。
2015年8月9日付『憲法便り#1137:朝日新聞編集委員上丸氏への協力中止の真相(15)研究の盗用に到る経過②(初版)』で、私は次のように述べている。
メーキングを公開します。
これは、In the making 初版です。
いろいろ考えましたが、経過をリアルに明らかにするために、読みづらいのですが、私が上丸氏に送った手書きのFAXをそのまま掲載します。
以下は、その原型ですが、これに加筆して、第二版、第三版と版を重ねる形で、完成を目指します。
第二版から、FAX画像への説明記入を本格的に開始します。
一度の掲載に字数制限がありますので、FAX画像を中心に構成し、経過の最も重要な部分を最後まで辿れるようにしたいと考えています。
朝日新聞社からの「回答文書」が送られてきましたので、それは、朝日新聞社との交渉経過を含めて、別途掲載します。
前置きはここまでにして、本論を進める。
私は、拙著『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』の訂正と論文執筆のために、新聞資料の見直しを昨年から進めていたが、心臓と目の具合が悪いので、長期にわたって、中断していた。
だが、治療の目処がたったので、上丸氏との話しをきっかけに、作業を再開した次第である。
マイクロ・フィルムを読む作業は、「集中力」を必要とする。
したがって、一日の作業時間を、3時間とした。
次の日の作業を考えると、これが限度である。
【3月25日の国立国会図書館での調査】
国立国会図書館新聞資料室での、マイクロ・フィルムを読む調査は、手順を理解していないと、はかどらない。
その手順を、簡単に示しておこう。
①マイクロ・フィルム貸出は、1回につき3本まで。
②貸出までの待ち時間は、約15分。
③1本を読むのに、約10分、3本で約30分。
④複写が必要な場合、マイクロ・フィルムの場合、約15分。
合計1時間の中で、これだけのことをこなす。かなり熟練の技である。
これは、あくまで、順調に進んだ場合の想定であって、必ずしも計算通りにはいかない。
一時間で3本、3時間で9本。
調査するのは、約60紙なので、約60本。
単純計算では6日間、早くても5日間はかかる。
目標通りに作業を進めるため、調査期間と対象項目を、厳密の絞り込んだ。
調査期間は、昭和20年8月15日から昭和20年10月13日まで。
調査対象は、憲法に関する社説および記事。その他の項目に興味深い記事があっても、メモ程度ですます。
以上の手順で、調査を進めた。
以下に領収書のコピーを示すのは、作業工程の確認のためで、金額を示すことが目的ではない。
領収書
【3月26日(木)】
(1)3月26日午前10時10分、三井記念病院で手術後一週間の検診を受ける。
病院近くで昼食後、調査のため国立国会図書館へ。
調査時間は、3時間。
この日は、複写すべきものなかったので、領収書もなし。
複写するものがなかったので、予定よりも多くの本数を見ることが出来た。
(2)留守中に、上丸氏からFAXが届いていた。
【3月26日午前11時08分に、上丸氏から届いたFAX】
思いの外、2本目(4月13日付予定)の二度目の原稿は、意外と早く送られて来た。そんなに早く調査が出来るものではない。それは、2行短くした、手抜きの原稿であった。そして、不正確なものであった。
端的に指摘すると、赤い傍線を付した二つの箇所。
①8行目「12日の各紙に載った。」
朝日新聞は、他紙より1日遅れて10月13日に掲載している。
この件については、2014年8月6日に、私の研究ファイルで実物を見せて説明している。
画像2枚
②削除した地方紙の動きは、朝日、毎日、讀賣の大手三社に先んじる動きであり、戦後史の中で、重要な部分である。私が再調査をしていないのならばともかく、便宜的な手法でごまかすのは、読者に対して無責任である。ここは「岩田行雄の研究によれば、現在判っているのは」と前置きして、8紙の紙名を入れれば済むことである。
【3月27日(金)】
(1)岩田から上丸氏へFAX一枚送付。
上丸氏からは、FAXを受け取ったとの連絡は「なし」。
(2)国立国会図書館での調査
領収書
【3月28日(土)】
(1)岩田から上丸氏へFAX二枚送付。
上丸氏からは、これまた、FAXを受け取ったとの連絡は「なし」。
(2)国立国会図書館での再調査終了
領収書
【3月30日(月)】
(1)岩田から上丸氏へFAX一枚送付。このFAXで、初めて上丸氏に眼のことを伝える。
上丸氏からは、これまた、FAXを受け取ったとの連絡は「なし」。
【3月31日(火)】
(1)三井記念病院に入院、右眼を手術。
【4月1日(水)】
(1)午前中に退院。
【4月2日(木)】
(1)午前、上丸氏から電話。
私が、「FAX、ご覧になりましたか?」と、問いかけると、
上丸氏が最初に口にしたのは、礼でも、見舞いでもなく、次のひと言だった。
「これ、まずいことになってたんじゃないですか!」
「まったく同じ文章なんですか?」
まるで、詰問である。
彼が言わんとしているのは、『毎日新聞』の社説「和平への強力な拍車」と、『福島民報』が、全く同一の文章だったことについてである。
私は、この「質問」に対して、次のように話し始めた。
「文章は確かに同じです。」
「しかし、和平という言葉の意味は、非常に限定されていて、弱々しいので、以前調べた時に、平和国家論の中には、含めませんでした。」
「見出しと、本文併せて、ひとつの記事となります。そのことは、新聞記者のあなたがよくご存知のはずです。」
「もしも、『毎日新聞』社説の本文と、『福島民報』社説の本文が同じだということにふれるのならば、まず、これを調査した結果であること、そして私の見解にふれ、そのあとで、あなたの見解を述べるべきである。それが、他人の研究を引用する際の正しい方法です」
ここまで話をすると、彼は、私の話を遮って言った。
「それは、岩田さんが、ほかに書けばいいことです。」
「それに、社に「毎日新聞社史」があったので調べましたが、毎日新聞と福島民報は協力関係にありました。」
その社史は、私も読んでいるが、協力関係などではなく、毎日新聞社が、福島民報を強引に買収しようとしていたのである。だが、私は、この電話でのやり取りの中では、その事実を彼に教えなかった。(この事実の付いては、本稿第三版で詳しく述べる)
私は、「協力関係ではないと言ったあと、見出しを「和平」とせずに、「平和」とした福島民報の軍配を上げるね」と言った。
上丸氏は、一方的に、次の言葉を放って、電話を切ろうとした。
「編集委員室にFAXを貰っても、誰もいませんし、私は忙しいんです。これから出かけますから」
私は、怒りを現すことは、術後の目に良くないので、穏やかに言った。
「最後にひと言。明日から、目の養生をしますから」
彼は、何も言わずに電話を切った。
私は思った。「この態度は、何なんだ!」
【4月6日(月)】
(1)岩田から上丸氏へFAX二枚送付
私は、上丸氏の無礼な態度をじっと我慢をしていたが、そのため、夜は一時間半しか眠れなくなってしまった。
そして命の危険を感じ、次のFAXを上丸氏宛てに送った。
【4月7日(火)】
(1)午前10時10分 三井記念病院で、手術後一週間目の定期検診
(2)事前の原稿送付がないまま、いかにも、上丸しが自分が調べたような書き方で、『朝日新聞』夕刊に、研究無断盗用の記事が掲載された。
これを盗用と言わず、何と言う。
拡大部分(前半)
拡大部分(後半)
私は、上丸氏に対して、資料、文献、研究を引用する国立国会図書館のホームページを含め、引用する際にはその出典を明かにしなければならないことを伝えて来た。これは、学問の世界では、常識であり、不可欠なことである。
私の資料調査や研究を引用する場合も、当然おなじことが要求される。
今回、上丸氏にFAXで送った情報、調査結果は、『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』の延長線上にある、加筆・訂正であり、これを勝手に利用することは、私は認めていない。
しかしながら、かれは、白昼公然と無断引用、即ち盗用したのである。
もしも、研究者が上丸氏と同じことをしたならば、その事実が発覚した時点で、研究の世界から退場しなければならない。
【4月27日付の上丸氏からの手紙】