2015年9月26日(土)(憲法千話)
憲法便り#1409:「戦地から 遺骨代わりの 弁当箱(べんとばこ)」(友人の御尊父に捧げる一句)。
「戦地から 遺骨代わりの 弁当箱(べんとばこ)」(友人の御尊父に捧げる一句)。私の小学校時代の同級生のお父さんは、敗戦後の昭和20年11月に中国で戦病死した。死亡通知が届いたのは八ヶ月後。増上寺に遺骨を引き取りに行くと、弁当箱と箸が入った小さな箱を渡された。戦争の残酷さの証明。
以下に、岩田行雄編・著『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』(9頁ー10頁)を再録する。
*********************************************
二〇〇九年五月に千葉の稲毛で講演を行った際に、小学校時代の同級生Kさんが友人二人を誘って聴きに来て下さった。暫くして、彼女から届いた綺麗な押し花付きの手紙には私が五十五年間全く知らなかったことが書かれていた。ご本人の承諾を得て、核心部分を紹介する。
「戦争放棄に関心がありました。私の父が戦死だからです。私は父の顔を知りません。父は若い時に耳を怪我して難聴になり、耳元で大きな声で話をしないと聞こえない状態だったそうです。昭和十九年、三十五歳のときに招集令状が来て狩りだされました。昭和二十年十一月(中華民国北***?)戦病死と書いた死亡通知が八ヶ月後に千葉の疎開先に届いて、増上寺に遺骨を引き取りに行ったのですが、渡された小さな箱には骨は入ってなく、お弁当箱と箸が入っていたそうです。母はそれを遺骨と思ってお墓に入れていたそうです。その母が九十六歳十カ月で亡くなりました。昨日、七七日忌の法要があり、お墓に母が入りました。建て替えたお墓には父の遺品はありませんでした。少し悲しい思いがしました。母に聞いたことを思い出して書いてみました。
これからの人たちには、この様な思いをさせないように九条を守りたいです。」
*********************************************
「これからの人たちには、この様な思いをさせないように九条を守りたいです。」この言葉を心に深くとめておきたい。
同時に、次の言葉を肝に銘じる。
「9・19を忘れるな!」