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岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞

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2016年 01月 16日

憲法便り#1543:国会包囲集会参加の妻を気遣った、田沢道行さんの短歌の誕生秘話

2016年1月16日(土)(憲法千話)

憲法便り#1543:国会包囲集会参加の妻を気遣った、田沢道行さんの短歌の誕生秘話


下記の二つの記事に関連するお話です。

①1月14日付『憲法便り#1538:国会包囲の闘いを詠んだ、田沢道行さんの心に沁みる短歌を紹介(訂正版)
②1月14日付『憲法便り#1540』:伊藤雄司先生の新年の挨拶「戦争法を通したままでは死ぬわけにはいかない」

伊藤雄司先生が、田沢道行さんの短歌を掲載することについてご了承を得てくださったことと同時に、
田沢さんに拙著『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』を郵送するようにとのご連絡をいただいた。

翌1月15日午前に、田沢宅に電話をかけると、夫人が田沢さんは外出中で3時頃に帰宅なさるとのこと。

そこで、私は短歌掲載のご了解についてと、本のご注文へのお礼を述べ、夫人に国会包囲集会に参加なさった時の話を伺った。
記事掲載のお許しを得たので、以下に紹介する。

夫人のお名前は、紀子(のりこ)さん。

「シールズ」の若者たちが頑張っているので、それに応えて、自分もなんとかしたいと思い、8月末の集会に、夫と共に参加した。
このような集会に参加したのは、初めてのこと。

国会議事堂の正門近くに辿り着き、集会に参加していると、思いがけない出会いがあった。

元中学校の先生である夫の道行さんは、その集会で、偶然、教え子の女性に会った。
その教え子は、中学生になる我が子を連れて参加していた。

この喜びの再開の会話が続いている時、
紀子さんは、ずっと立っているのが辛いので、
その場から少し離れて、歩道沿いの石垣に腰を下ろした。

座った場所の隣にいた女性と話して判ったことだが、彼女は長崎から駆けつけた学校の先生であったという。

この日、前年ながら、シールズの奥田さんの姿を見かけることができなかった。
だが、今年も若者たちの呼びかけに応えたいと思っている。

短歌の感想を求めると、
紀子さんは、次のように語った。

「夫が私のことを、こんな風に思って見てくれていたのを、短歌を読んで、初めて知りました」

話を一通り聴き終わったところで、私は言った。

「集会には、若者だけでなく、いつも年配の方々が、かなり参加していました。
私は『シールズ』に因んで、彼らを『シルバーズ』と呼んでいます。」

すると紀子さんは言った。
「(シルバーズ』、それはいいですね。今年は、『シルバーズ』が安倍内閣打倒で頑張りましょう」

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【再録】②1月14日付『憲法便り#1540』

1月13日、妻がお世話になっていた、伊藤雄司先生(85才)の水墨画教室の同窓会がありました。

会場は、入曽駅から徒歩で8~10分ほどのところある、イタリアレストラン「ろくすけ」。
不老川沿いにある洒落たお店です。

以下、世話役と務めた妻から聞いた話をまとめました。

乾杯の言葉として、先生は開口一番、「戦争法」を通したままでは死ぬわけにはいかない」と、お話になった。
そして、あらかじめご用意なさった文章を読み上げました。

その内容は、参加者全員が、お土産にいただいた『高遠饅頭』の箱の上に添えられた、
新年の挨拶状に書かれていたものでした。

「明けまして おめでとうございます。
今年は 国民が、
真の主権者になれるかどうかの
大きく 大事な 曲りかどです。」

挨拶状の中ほどには、ご友人・田沢道行さんから年賀状で贈られた短歌が書き込まれていました。
それは、まさに、情景が目に浮かぶような名作です。

伊藤先生、そして田沢道行さんのご了解を得て、手紙を拡大して紹介します。

短歌は、
「悲しみか 怒りがかすか ふるへおり
  国会包囲の 妻を 雨打つ」


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by kenpou-dayori | 2016-01-16 11:04 | 川柳・俳句・短歌


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