2016年4月5日(火)(憲法千話)
憲法便り#1657:【連載:外務省と第九条シリーズ】元外務省条約局長西村熊雄氏の証言(第1回)
2008年に刊行した拙著『検証・憲法第九条の誕生』(第五版)から、1960年8月10日に行われた
西村熊雄元外務省条約局長の証言を、5回にわたって掲載します。
(典拠は、国立国会図書館憲政資料室所蔵「西沢哲四郎旧蔵憲法調査会資料」より引用)
憲法調査会第三委員会第二十四回会議議事録より
昭和三十五年八月十日(於 全国町村会館)
午後一時三十七分開会
出席委員 村上義一、大石義雄、高田元三郎、広瀬久忠、八木秀次、
委員以外の出席者 高柳賢三会長、矢部貞治副会長
委員 大西邦敏、田上穣治
専門委員 佐藤 功
参考人 広岡謙二、堀田政孝、西村熊雄、下田武三
当日の進行は、初めに、国防会議事務局長・広岡謙二参考人の「国防会議の活動状況等について」の話しと質疑応答、第二に、元外務省条約局長・西村熊雄参考人及び前外務省条約局長で当時は外務省審議室審議官・下田武三参考人から「日米安保条約の締結、国連加入、MSA協定の締結などにおける第九条の運用上の問題点」についての話しと質疑応答の順で行われた。
本書では、西村参考人の話しと後半の質疑のみを収録した。(傍線は、編著者岩田による)
西村参考人 御紹介いただきました西村でございます。今日は憲法第九条との関係で、条約局長をいたしておりました当時当面しました三つの問題、すなわち平和条約、安保条約および国連加盟の申請について、第九条に直接、間接関係した事柄を説明するようにとの御要求でございました。私が条約局長を拝命しましたのは、昭和二十一年の十一月三日新憲法が制定されましてから間もなくのことでございました。本日御出席の下田君に局長の席を譲りましたのがちょうど二十七年の四月末でございまして、平和条約発効直後でございました。したがって、私が働いておりました約五か年間は、憲法制定の直後であるということと、もうひとつ、占領軍総司令部の厳重な監督のもとに外交を行なっていた時期であることを特徴としますので、概して申しますと、その当時の外務事務当局は新憲法第九条の精神を文字通り外交の面で守ることにあらゆる注意を払った、と申し上げていいと思います。
それで憲法第九条の関係で第一にぶつかりました問題は平和条約でございます。平和条約の交渉になりますまで、外務事務当局は常時対日平和問題を中心とする国際情勢を調査いたしまして、随時きたるべき平和条約に関する連合国の構想、それに対する日本政府の対策というようなものを作業いたしておりました。
今日これらの作業を振り返ってみますと、こちらの想定として、連合国は平和条約のなかで新憲法の根本原則を再確認してくるであろうという予測をしておりました。そうしてその対策としてわが方は真の独立国として完全な自由意志に基ずく自国の憲法を持つべきであるから、新憲法の大原則を平和条約で再確認させられるようなことのないよう連合国に要請すべきであるということをうたっておりました。一九五一年の一月に第一回の日米交渉にはいりましたとき、一月二十六日初めてアメリカ側から議題表を受け取りましたが、その第三項が再軍備でありました。そこには、もし軍備を置くとするならば、日本の再軍備を制限するためにいかなる規定を設くべきかということがかいてございました。他方共産三国のリーダーとして対日平和問題に大きな発言権をもっておりましたソ連は、一九五一年の九月五日の第二本会議において、米英が作りました平和条約案に新たな追加条項としまして、日本の軍備制限条項をそう入することを提案しました。すなわち、陸軍を十五万人、海軍を人員二万五千人、艦船七万五千トン、空軍を戦闘機及び偵察機二百、運送機、訓練機、救助機その他百五十機、外にタンク二百、こういう規定を置くべきであると提案しました。これではっきりしますように、平和条約の交渉となってみますと、英米、またソ連も日本国憲法が戦争を放棄し、陸海空の三軍を持たないと定めていることを完全に無視しまして、アメリカの方では日本に再軍備をさせ、それにある種の制限条項を置こうという意向であるに対し、ソ連は今申し上げましたようにはっきり陸海空三軍について日本の保有量を具体的に規定する考えでいたわけでございます。これは主として国際情勢のしからしめたところでありまして、外務事務当局が交渉にはいる前の数か年間(の、)連合国は日本に新憲法の原則を平和条約で再確認させはしまいかという懸念は一掃されてしまった次第であります。
日米間の交渉にはいって第一日から先方の希望する再軍備についていかように対応するかという問題があったわけですが、再軍備問題に対する日本政府の態度は、全く当時の吉田総理の決定によったものでございます。先方から交付されました議題表に対して、日本政府の態度を簡単な文書で提示し、そのあと両代表間の話し合いにはいることになりまして、まず議題各項目について日本政府の根本態度が文書で先方に出されました。その文書のうち、再軍備、安全保障、領土というような問題についてほとんど総理の口述によるものであります。再軍備については、次のようになっています。「日本の経済復興がまだ完全でなくして再軍備の負担に耐えない。次に今日の日本にはまだ軍国主義の復活の危険がある。さらに日本の再軍備は近隣諸国民が容認するようになってからしなければならない。最後に憲法上の困難がある。以上の理由によって再軍備は不可能である。」というのであります。この態度は最後までかえられませんでした。先方も、結局、日本が再軍備できない事情は了解したが、いつまでも再軍備しないで、国の安全を米国の好意にまつわけにはいかない。独立国として平和愛好国の一員として応分の力を世界の平和のために致すべきである、という趣旨を述べました。それで再軍備問題の討議は終っております。そういうわけですから、先方の希望した再軍備につきまして憲法第九条があったことは日本の立場を先方に容認させる一つの理由になっているわけであります。新憲法第九条は日本の外交を通す一つの道具になったといえましょう。
第二は安全保障条約の場合であります。この問題は日米両代表間の問題であるというよりも、むしろ外務省内部での問題であったと申さねばなりません。当時の国際情勢から考えまして、一方では、平和条約によって日本の独立が回復したあとにも、アメリカ軍隊の駐留を認めるのでなければ、日本の独立は与えられないであろう、という情勢判断が生まれたのであります。他方、憲法は軍隊を持たない、戦争を放棄すると言っておりますから、条約によって外国軍隊の駐留を認めることは果して憲法上許されることであろうかどうか、という疑問が生れるわけであります。政策的にいうとどうしても平和条約がほしい。だが平和条約を得るためには合衆国軍隊の駐留をどうしても認めざるを得ないという次第です。しかし占領後そう長い年月もたっておらず、また新憲法の第九条は強く国民の頭に響いております。加うるに将来世界における日本の外交政策をどうすべきかという問題についてアメリカ側ことに占領軍の最高責任者の口から、日本は極東のスイスたれ、としばしば言われておりました。
こういう事実を前にして、合衆国軍の駐留を認める日米間の安全保障体制をつくるためには頭の切りかえを必要といたします。従って中立政策論と自由陣営参加論とが対立して、決することが出来ない状況でありました。いよいよ平和条約交渉を差し迫って参りまして、どうしても独立後の日本の安全保障体制を考え、その具体案を用意しなければならない段階になりまして、事務当局の間で、安全保障対策要綱というようなものを作成しました。それは第一に、できるならば合衆国軍隊の駐屯地点を日本本土外の島に限ること、第二に憲法第九条との関係で国内的に問題を起さないために、まず国際連合総会において、日本の安全が極東の平和に直接関係する重要問題であることを認めると同時に、よって日本の安全の維持を合衆国に委託するという趣旨の決議をしてもらい、この決議に基づいて日米間に安全保障の取りきめを結び、その一環として合衆国軍隊の日本駐留を認めること……こういう考えを採用したものでありましたこの事務当局案を吉田総理に提出いたしましたが、総理から「以来事務当局経世国的経りんなし、社会党の口吻のごとし、いま一段の工夫を要す」というような評言を付けて差しもどされたことがあります。
(続きは、
憲法便り#1658ヘ)