2016年4月5日(火)(憲法千話))
憲法便り#1660:【連載:外務省と第九条シリーズ】元外務省条約局長西村熊雄の証言(第4回)
広瀬委員: スエズの出兵のとき、日本は金を負担したということがあるのですか。
下田参考人: ございません。
広瀬委員: あのときはなかったですか。
下田参考人: スエズ問題のとき、ロンドンで会議がありまして、重光大臣も出席されましたが、経費負担の話しはありませんでした。
広瀬委員: 何か金の負担があったと……。
下田参考人: それは政府でなしに、スエズを利用しております郵船や商船等の船会社が負担したことはあるかもしれません。
広瀬委員: 政府としての問題はなかったのですね。それからとにかく第九条と条約の関係では、国際法的に国連のいわゆる集団的自衛権は日本は持たないという解釈をとっているわけですね。
西村参考人: とっております。
広瀬委員: そうすると、国内法の第九条からくる制限のために、これから国連下における集団的自衛権もだめだと……。
日本は吉田(首相)さんが「日本は貧乏だ」といわれたころとまるで違ってしまって、今日は相当なものになった。日本は人口が多いということからも、経済能力からいっても世界ではもう五番目にははいるでしょう。貿易の上でもなかなか最近はいい。とにかくこれだけの国がそんなびっこでいる―ゆがめられているといってもいいのですが―と私は思うのです。集団的自衛権がないというびっこの形でおることが国連加盟国の一員として堂々たる―堂々たるという文字をつけたいと思うのですが―一員としてあなた方が外交上、貿易上、その他の点から困るということを感ずることはないのですか。
下田参考人: 集団的自衛権がないという明確な否定は、最近新安保条約に関連しての国会の答弁で、一回も申したことはないんです。日本の場合は、集団的自衛権を以て説明する必要がないという言い方をしております。集団的自衛権そのものは、平和条約でも安保条約でも、日本は個別的、及び集団的な固有の自衛権を持つということになっております。ただ集団的自衛権という言葉を不用意に使うと、日本はあたかもアメリカまで守りにいくような誤解を与えるので、通常の意味における集団的自衛権というものは確かに日本の場合には該当しない。該当しないとすれば、誤解を招くような表現はなるべく避ける。現実に日本の場合は個別的自衛権ですべて説明がつくのであるから、あえて集団的自衛権をもって説明をする必要はないという言い方をしておるわけです。
広瀬委員: わかりました。そこで私の言いたいことは、外交官の諸君は苦しい立場が相当あるのだろうと思うのですが……。日本がこれから貿易の関係とかいうような面でも、こんなびっこでおることが非常に不利益になるということもないのですか。
下田参考人: ワシントンにおりましても、政府からそういうことを正式にいってくることは全然ございませんね。占領時代に日本におりました将軍や提督連中がすでに責任のある地位を退きまして、気楽な発言をしておりますが、今日アメリカでウエスト・アンド・ジャパンというくらい、西欧諸国と肩を並べて経済力を高く評価されている日本は、もう少し自衛力を……。
広瀬委員: そういうことですね。要するに安保条約の前文にあったようなことですね。それからダレスが言ったように、独立国として世界の一員として寄与するところあるべしという心持は相当あるでしょうね。
下田参考人: アメリカ国民の内心抱いておる感情でございましょうね。ただ政府の表向きの要請としては決して出てこない。
広瀬委員: そういうことは相当あると思う。それからこれは見通しの問題になるのですが、私どもは独立国として自衛の軍を持つべきだ。しかしながら、自衛の軍は持っても同時に、世界の平和組織にわれわれは加盟する責任を負う。自衛の軍は持つけれども、世界の平和組織の中に責任をもって入るのだ。これだけは憲法に明記したい。そういうぐあいにして集団的自衛権のできる形に持っていきたいと思うのです。そこで憲法を改正するとすれば、軍縮というものに順応した憲法の改正をしなければならない。これはあとのことでどうなるかわからないことであるけれども、これからの軍縮は、管理のもとにおける軍縮であると考えている。その管理のもとにおける軍縮を考える場合には、各国の立場からすれば、いわば自国の警察をバックアップするだけの自衛軍がなければならない。そうしてそれが同時に国際警察軍つまり国連警察軍の一翼を担当し得るものでなければならない。こういうぐあいに持っていかなければ第九条に変わるものはできないと思うのですが。そこで私のお伺いしたいことは、どういうぐあいにするかということよりも、一体管理下における日本の軍縮の将来、世界の軍縮の将来、それに対して日本が今の日陰者のような自衛隊式のことでいって、どういう立場になるかということを非常に心配しているのです。今の自衛隊というものは国際的にみれば軍隊とみることができるか。非常にむずかしい問題で外交官としておっしゃれないことかもしれませんが。
西村参考人: 私だけの考えですけれども、最近の軍縮問題のなりゆきをみておりますと、軍備縮小ということではなく、アメリカの意向もソビエトの意向も、軍備撤廃です。それでソビエトは軍備を撤廃して自国の防衛に必要な警察力を維持しようというし、アメリカの考え方は軍備を撤廃して国際警察軍をつくろうといいます。こういう考え方で、根本的には双方近いと思います。軍備縮小ではなくして、軍備の撤廃です。そして各国とも、警察軍隊をおくということです。ですから、そういう見地からみますと実現するには、十年かかるか、二十年かかるか、ずいぶん先のことでございましょうけれども、憲法のような長い時代にわたる根本的な制度をうちたてるものの形としては、現在の憲法第九条は、表現はとにかくとして、精神と実質からいいますと、今日の軍備撤廃の到達点を表現しておるものといえるのではないかと思います。軍隊をもたない、しかし警察隊だけ持つという、この考え方に一致しておるものでして、少し手を入れれば、まさに今日の世界の帰する、大勢に合致した、もっとも進歩した憲法だと言っていいように思うのです。
ただ外交の面から見ますと、今日の自衛隊について一番困る点は、海外派兵は出来ないとされていますので、従って、国連憲章の下にとられる国際警察行動にいっさい参加しないという方針がとられていることであります。もっとも憲法第九条の第一項、第二項に手を入れなくても、国連憲章の下に行なわれる国際警察行動には参加できるという性格が自衛隊に与えられるならば、第九条は日本の外交にさしつかえになるようなことはなくなろうと個人的には考えておりますが。
矢部副会長: 下田さんから今お話しの国際警察軍のことで伺おうと思ったのですが、たとえば今コンゴに派遣されているとか、またスエズ事件のようなときとか、ああいうものには日本の自衛隊は参加できない、という解釈を外務省はとっておるわけですか。
西村参考人: スエズ問題のときですか、そういう解釈をとっておりました。
下田参考人: まあ公務員の海外派遣という名目で、戦争行動には参加しないで、それ以外の平和的措置、たとえば運河の清掃行動に参加するのはさしつかえないという説もありました。
西村参考人: スエズの事件ではなくて、レバノンのとき―レバノンにアメリカが出兵した当時―国連からそういう要請があって、自衛隊をすぐにという……。
広瀬委員: それで金を出したと私は思う。スエズでも金を出したと思う。
高柳会長: 法律の解釈ではそうなっておりますね。
広瀬委員: 海外派兵ということではないのですか……。
西村参考人: 私は憲法の解釈だと思うのです。憲法の解釈として、自衛隊は海外に派遣しない方針が決定されていて、それが歴代政府によって国会で声明されておりますので、やはりそれにしばられると思います。
高柳会長: それに基づいて法律ができているわけでしょう。
西村参考人: なにもございません。
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