2016年5月12日(木)(憲法千話)
憲法便り#1721:【資料発掘】明治22年8月28日の熊本大地震の記録(版画入り)
去る4月28日に、町田市立国際版画美術館の内覧会へのお招きを受け、
『森羅万象を刻む』―デューラーから柄澤齊へ―を見てきました。
156点の展示作品の中で、まず目にとまったのは展示作品57です。
それは、以下に示すように、熊本大地震に関する作品が展示されていたからです。
念のため、企画を担当した学芸員に、今回の熊本大地震を意識しての展示かどうかを質問してみましたが、偶然の一致であるとの答えでした。
以下の版画は、1889年9月1日付『東京朝日新聞』附録を引用したものです。
上は、「熊本縣下飽田郡高橋町市街震災被害眞圖」
町田市立国際版画美術館の展示目録には、次の解説が付されています。
版刻:合田清 391×323mm 小口木版
下は、「熊本城内砲臺地盤割裂眞圖」
右側の文章
此に掲ぐる兩面の圖畫は明治廿二
年七月二十八日夜熊本縣下に起れ
る大地震の紀念として留むべき爲
め同縣飽田郡高橋町(字川端)市街
被害の實況及び同地第六師團所轄
熊本城内(舊平左衛門櫓床)號砲臺
近傍の土地割裂の写真に據て圖畫
を作り之を歐風寫眞畫樣に摸刻し
たるものなり幾多の寫眞中特に茲
に此の兩面を撰みて摸刻したるも
のは該地被害箇處中殊に此の兩
處を以て最も悲慘の箇處となせば
なり
左側の文章
明治廿二年七月二十八日夜に於ける
熊本縣下の震災ハ實に近代稀に聞
くの大地震なり被害の地一市九郡
に亘り裂地八百九十餘箇處人畜の
死傷亦少しとせず史家の説に據る
に同震災は往古白鳳七年十二月及
ひ天平十六年五月、貞観九年五月、
仁和三年七月、寛文二年十一月、享
保八年十一月、同十年九月、安永八
年九月、寛政四年二月等に於て九
州に起れる前後九回の震災と共に
永く史上に記して不亡に備ふべき
の大震災なりと云ふ