憲法便り#1855:新連載・憲法第九条の提案者はマッカーサーか幣原首相か;①高柳会長とマッカーサー元帥及びホイットニー準将との間に交わされた書翰(訳文と原文)について(第二版)
往復書簡8通について、タイトルだけはすでに、下記の通り紹介しました。
⑤憲法調査会『高柳会長とマッカーサー元帥及びホイットニー準将との間に交わされた書翰』(昭和三十四年二月)
目次
1.高柳会長からマッカーサーへ(1958.12.1)
2.高柳会長からホイットニーへ(1958.12.1)
3.ホイットニーから高柳会長へ(1958.12.4)
4.マッカーサーから高柳会長へ(1958.12.5)
5.高柳会長からマッカーサーへ(1958.12.10)
6.高柳会長からホイットニーへ(1958.12.10)
7.マッカーサーから高柳会長へ(1958.12.15)
8.ホイットニーから高柳会長へ(1958.12.18)
まず、新連載を掲載するにあたっての、私の基本的な考えを述べておきます。
私は、「押し付け憲法論」には反対です。
とくに、2013年2月12日の予算委員会での、石原慎太郎議員の質問に対する安倍首相の答弁のデタラメさ加減は、ひどいものです。
その具体的な内容は、拙著『心踊る平和憲法誕生の時代』の「はじめに」に収録してありますので、リンクしておきます。(リンク先は、こちらへ)
「押し付け憲法論」は、幣原内閣で、、憲法を担当した松本烝治元国務大臣が言い出したことが始まりです。
彼は、幣原内閣において、国民に対して、明治憲法をほぼそのまま押し付けようとしましたが、それが果たせずに憲法担当大臣の職を解かれました。
これは、GHQからの圧力によるものではなく、日本政府内部の問題でした。日本国民は、新憲法を大歓迎しましたが、
日本国民は、新憲法を歓迎しましたが、松本烝治は、依頼された談話や講演の中で、いわば、恨み節のような形で、「押し付け憲法論」を主張しました。
私は、かれらの「押し付け憲法論」に反論するために、下記の出版活動を行なってきました。
『検証・憲法第九条の誕生』、
『平和憲法誕生の真実』、
『外務省と憲法第九条』、
『心躍る平和憲法誕生の時代』、
『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』(『心躍る平和憲法誕生の時代』改題補訂第二版)、
名大九条の会&東山・見付九条の会主催講演会の記録『憲法第九条はどのように誕生したか』、
その他を、低価格の自費出版で世に送り出してきました。
出版数は、約4万5千冊に及びます。
しかしながら、これまでの研究の中で、「第九条の真の提案者は幣原首相」という考え方には、否定的です。
歴史的状況を俯瞰する研究から事実を見極める必要があります。
私は、この観点からの研究を進めるために、自らの考えにあっている資料のみを見るのではなく、いわば、対極にある考え方の資料も読んできました。それは、自らの目を真実から外らさず、研究上の誤謬を避けるためです。
「第九条の真の提案者は幣原首相」という考え方は、いわば、「押し付け憲法論」に対する切り札として主張されてきましたが、歴史的事実を詳細に見ていくと、矛盾があります。
「押し付け憲法論」に対しては、単に「第九条の真の提案者は幣原首相」ではないがということだけでは、立論が狭すぎます。
幣原首相は明治憲法改憲論者ではなく、1945年10月11日に、マッカーサーと初めての会談をしたあと、10月13日の臨時閣議で会談の報告をした際に、「改憲せず、法律の改正でポツダム宣言履行は可能」と言明しています。
そして、前述した松本烝治を委員長とする「憲法問題調査委員会」を設置し、憲法問題を松本国務大臣に「丸投げ」しました。
その状況は、1946年1月24日に行われたマッカーサーとの私的な会談(*私はこれを「ペニシリン会談」と呼んでいる)以降も変わってはいません。
ですから、ここに紹介する手紙の内容についても、否定的です。
でも、この手紙が偽物だということではありません。
講演でも、「第九条の真の提案者は幣原首相」という考え方に対して、否定的な考えの理由を明らかにしてきました。
憲法調査会の資料だけでなく、憲法問題調査委員会(通称=松本委員会)の議事録、松本委員長の発言、幣原首相の長男・道太郎氏の小論文、その他の一連の文書を読んできたことからの判断です。
私がかなり以前(3・11よりも前)に、国立国会図書館憲政資料室所蔵の書翰8点を、複写で入手していますが、
ブログ、論文などに使用する場合、担当セクションに連絡を取り、使用確認を得る必要があります。
内閣法制局にも同じ資料があるとのことなので訪ねましたが、手紙を含んでいるので、公開の対象とはしていないとのことでした。
国立公文書館で所蔵している、憲法調査会資料に関しては、出典を明記すうれば、利用可能とのことなので、ホームページで公開されている書翰8点にリンクして紹介します。
上記3箇所の機関所蔵されている資料を比較して、次のことが判りました。
国立公文書館に内閣府から移管された憲法調査会資料が原本で、国立国会図書館憲政資料室、及び内閣法制局所蔵の資料は、国立公文書館所蔵の資料を複写したものです。
国立公文書館資料の現物の裏表紙には、憲法調査会事務局の印が押印されています。(*ただし、ホームページには写っていません)
三つの資料は同一の内容であることが判りましたが、二つの問題点が浮かび上がってきました。
第一の問題点は、8通の手紙の発信者は、高柳会長4通、マッカーサー2通ですが、活字の字体から判断して、すべて同じ活字のタイプライターで、タイプされているものとおもわれること。
第二の問題は、どの手紙にも、自筆の署名がないことです。
したがって、本物の手紙は、どこか別のところに所蔵されているのではないかと考えられること。
可能性としては、高柳賢三旧蔵書の中、あるいはその近辺。これは、あくまでも推測です
これらの手紙がどのような状況でやり取りされたのかについて、憲法調査会の調査活動の全体像を示す必要があります。
資料はすでに準備が出来ていますが、昨16日は、台風のため外出ができず、これらの文書のスキャンが出来ませんので、
今日以降、準備が出来たものから、順次、掲載します。