憲法便り#1991:「鳥取県若者憲法集会実行委員会」への激励と連帯のメッセージ!
「鳥取県若者憲法集会実行委員会」の皆さんへ、激励と連帯のメッセージを送ります。
3・11東日本大震災の直後、まだ大きな余震が続く中、『心踊る平和憲法誕生の時代』の出版を準備するため、当時、国立国会図書館が所蔵していない地方紙のすべてを調査するために、以下の通り、全国各地の県立図書館・県立文書館等を訪問しました。
群馬、埼玉、山梨、静岡、富山、福井、鳥取、徳島、香川の各県立図書館、広島市立図書館、そして、大震災から四か月後に図書館業務を再開した千葉県立図書館、半年後に再開した茨城県立図書館。
調査を急いだのは、地震災害、あるいは事故、病気などで、私が命を落とした場合、日本で初めてのこの研究が完成しないことを恐れたからです。
私は、2013年5月にブログによる『憲法便り』の発信を始めました。
そして、2013年5月14日付『憲法便り#9』の「憲法公布記念シリーズ(第3回)で、「当時の鳥取県では」を掲載しました。
鳥取県について、とても印象深かったからです。
以下に、その記事を再録しましたので、是非ご一読下さい。
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2013年5月14日
『憲法便り#9』「憲法公布記念シリーズ(第3回)「当時の鳥取県では」
<b>「新憲法発布祝典記念」の全面広告</b><br>
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鳥取県も生まれて初めての訪問。国立国会図書館が所蔵していない『日本海新聞』の調査のためです。<br>
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徳島県立図書館、香川県立図書館での調査を終えて、次は岡山を通過して、鳥取へ。岡山―鳥取間の特急は、上下線とも一日三本だけの運行なので、午前の特急に乗り、夕方の最終の特急で岡山へ、そして岡山から新幹線で次の目的地広島に向かうというかなり厳しい日程。当時は、必死の思いで資料収集を行っていたので、徳島で鳴門の渦潮も見に行かなかったし、鳥取の砂丘にも行かなかった。いま考えてみると、惜しいことをしたと思っています。<br>
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ここで紹介するのは、昭和21年11月4日付『日本海新聞』からの二つの紙面です。<br>
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当時の新聞は、紙不足のため例外を除いて全国的に2頁建てで朝刊のみで、教科書の用紙に充てるため、順番にタブロイド版2頁建てになることがありましたが、11月4日の『日本海新聞』は4頁プラス附録2頁の6頁建てでした。<br>
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ひとつ目に紹介するのは、11月4日三面。「民主日本の首途を祝ふ」と題する記事と共に、鳥取市民の運動会での「女子中学生の音楽ラジオ体操」の写真が掲載されています。<br>
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ふたつ目は、11月4日の附録二面に掲載された、30社による「新憲法発布祝典記念」の全面広告。下から二段目に、「大八車、木調車」ノ御用命ハ「福井製」へという、時代を感じさせる広告もあります。この附録の一面は「改正日本国憲法全文」で、一番下に、「昭和廿一年 世界平和へ! 我らの憲法公布の日 十一月三日」と右端から左端へぶち抜かれています。<br>
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この全面広告を『心踊る平和憲法誕生の時代』の裏表紙に使ったところ、10冊の注文を下さった神奈川県のIさんから、「私は鳥取県出身なので、嬉しかったです」とのお手紙をいただきました。<br>
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ところで、鳥取駅前から県庁方面に向かって北東に延びている目抜き通りを歩いていると、中ほどに石破衆議院議員(現自民党幹事長)の事務所がありました。いろいろと試みても、鳥取県内から注文を受けたことがありません。石破議員の地元で改憲勢力と闘っていらっしゃる皆さんがこのブログを参考にして下さること、『心踊る平和憲法誕生の時代』を御注文下さる方がひとりでもあることを願っています。必ず、力になりますよ。<br>
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全国の祝賀行事と祝賀広告については、『心踊る平和憲法誕生の時代』の第四部、第五部をご覧ください。<br>
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なお、『心踊る平和憲法誕生の時代』は、完売となり、
現在は 改題・補訂第二版『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』を発売中です。