2018年2月11日(日)(憲法千話)
憲法便り#2441:「明治150年」の本質を突く、2018年2月11日付『しんぶん赤旗』日刊紙二面の「主張」(社説に相当)を紹介!
安倍首相や日本会議が、さかんに「明治150年」を強調しています。
歴史の真実を見ず、国難を救う、強い日本だけが、ことさらに強調される内容です。
いま、明治150年を、正確に分析し、認識を深める必要を感じています。
ここで、紹介する『しんぶん赤旗』の主張は、コンパクトで、判り易くまとめられています。
ぜひ、目を通していただきたく思います。
主張
「明治150年」
戦前の負の歴史を見ない議論
今年は明治元年(1868年)から150年に当たります。徳川慶喜を擁する旧幕府側と薩摩・長州両藩を中心とする新政府軍との間で戊辰(ぼしん)戦争が始まり、江戸城が無血開城され、新政府が「五箇条の誓文」を公布し、明治に改元したのがこの年でした。
前半は侵略と戦争の70年
安倍晋三内閣は官邸主導で「明治150年」関連施策を推進しています。例えば、明治期に関する資料の収集・整理と公開、建築物の公開をはじめ当時の技術や文化に関する遺産に触れる機会の充実などにとりくむとしています。
政府は「明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは、大変重要なこと」(内閣官房「明治150年」関連施策推進室)と強調しています。キーワードは「明治の精神」と「日本の強み」です。
通常国会の施政方針演説でも、安倍首相は「明治という新しい時代が育てたあまたの人材が、技術優位の欧米諸国が迫る『国難』とも呼ぶべき危機の中で、我が国が急速に近代化を遂げる原動力となりました」と力説しています。
政府挙げてのキャンペーンには疑問が上がっています。日本歴史学協会は、今年の「建国記念の日」に関する声明の中で「薩摩・長州出身者に代表される『維新』の当事者たちを実際以上に高く評価して『明治の精神』なるものを標榜(ひょうぼう)し、日本の近代を特定の立場から一方的に明るい歴史として考えていこうとする政府の方針には強い違和感がある」としています。
たしかに明治維新は、徳川幕府を中心とする封建制度から近代国家へと移行する、日本史の重要な転換点でした。しかし、明治政府は自由民権運動を抑圧し、大日本帝国憲法(1889年)や教育勅語(90年)を定めました。立憲政治の装いをこらしつつ国を統治する全権限を天皇が握る専制政治を確立したのです。
しかも国づくりのスローガンは「富国強兵」でした。欧米列強と対抗するために、1874年の台湾出兵と翌75年の江華島事件を皮切りに、アジア諸国に対する侵略と戦争の道を突き進みました。日清戦争の結果、1895年には台湾を植民地化し、日露戦争を経て1910年には韓国を併合しました。行き着いた先は、31年からの中国への侵略戦争であり、41年からのアジア・太平洋戦争でした。
「明治150年」の前半が侵略戦争と植民地支配という負の歴史をもっていたことはまぎれもない事実です。そうした歴史に目をふさぎ、戦前と戦後の違いを無視して「明治の精神」「日本の強み」を一面的に強調するのは、時代錯誤の歴史観というほかありません。
「明治100年」記念事業の時には、政府の文書が辛うじて「顧みてただすべき過ちもないとはいえなかった」(明治百年記念準備会議)と記していたことと比べても安倍政権の逆行ぶりは顕著です。
米騒動から100年
今年は1918年の米騒動から100年でもあります。シベリア干渉戦争に伴う米価高騰に民衆が立ち上がり、「非立憲内閣」と呼ばれた寺内正毅内閣は退陣に追い込まれました。この寺内首相を、同じ山口県の出身者として“目標”にしているのが安倍首相です。
圧政に抗して平和と民主主義、生活向上を求めた人々の歩みにこそ光を当てるべきときです。