2018年2月25日(日)(憲法千話)
憲法便り#2461:名著『アメリカ人民の歴史』誕生秘話、「そこをどけ、われわれは人民の代表だぞ!」「てめえたちこそどけ、おれたちが人民だぞ!」
これは、拙著『検証・憲法第九条の誕生』初版へのあとがきに書いた、
レオ・ヒューバーマン著『アメリカ人民の歴史』の誕生にまつわエピソードです。
初版刊行は、2004年6月30日ですが、「あとがき」を読むと、
今の状況が重なってくるので、掲載することにしました。
「初版へのあとがき」
憲法第九条と憲法前文は深く関わりがあるので、前文に関する論議も収録することを考えたが、大部になることを避けるため、第九条に限定した。
速記録を読んでいると、「野次」や「拍手」、議長の「静粛に願います」と議場を制する声なども記録されていて、私がまるでその場に身を置いているような臨場感がある。GHQの占領下にはあったが、当時の国会運営からは、日本の民主主義の黎明期とも言える新鮮さ、平和を願う真剣さが伝わってくる。
私は中学生までの時代を東京・葛飾で過ごしたが、近くに平和公園、平和橋、平和通りがあった。子供の頃は分からなかったが、いま改めて思い起してみると、人々の平和への願いが町の中にあふれていた。
私が本書を執筆することになるきっかけは、昨年十二月の初めに、『全国お郷(くに)ことば・憲法9条』という出版物の企画を進めている合同出版の社長からロシア語訳の依頼を受けたことであった。その時は、十九世紀前半のロシアにおいて、法整備の中心的役割を果たした人物についての論文を執筆中だったこともあり、第九条だけの試訳ということなので気軽に引き受けた。
参考に送られてきた英訳を見ると、条文の後半は受動態で書かれていた。しかし、日本語の条文は能動態で書かれており、何故かという疑問が生じた。取りあえず露訳をするために複数の和露辞典を調べたが、「国権」は「国家の主権」とするものと、「国家権力」とするものがある。「交戦権」に関しても訳語に違いがあり、知り合いのロシア人研究者に尋ねてみると、ロシア語では「戦端を開く」という意味の定式化された表現を使うという。過去に国会答弁で示された政府見解では、自衛隊派兵も「交戦権」の概念に含まれるので、表現は定式化されたものを使う訳にはいかない。
第九条は短い条文だが、重要な条文である。したがって、私としては納得がいかないままでロシア語訳を提出することは出来ないので、これらの疑問を解くため新憲法成立の過程を詳細に調べることにした。調べ始めてみると面白くなって、国立国会図書館の憲政資料室と議会官庁資料室に一ヶ月間も通うことになり、憲法との密な関係が始まった。そして、第九条誕生までの資料と衆議院議事速記録に目を通して、様々なことを知ることができた。憲法学者ならば当たり前のことも、素人の私には「発見」の連続であった。本書は、この調べ物の「副産物」で、私の納得のプロセスであり、いわゆる研究書ではない。
ここで、ロシア語訳にあたっての勉強の「成果」をひとつだけ紹介しておこう。日本国憲法前文の「日本国民は」の部分は、英文草案ではアメリカ合衆国憲法の冒頭We, the people に倣って、We, the Japanese peopleの書き出しで始まっていた。ところが、確定した第九条の書き出しは、単に「日本国民は」となっており、公式英訳でもthe Japanese peopleと三人称形になっている。だが、私はロシア語訳をする際に、前文と同様にWe, the Japanese peopleと解釈し、主権在民の基本的理念を反映するため「我々」という言葉を補い、一人称複数形にした。
英文の憲法草案の書き出しWe, the Japanese people という言葉を見て、私は早稲田大学の学生時代に曽根史郎先生の「米国史」を受講した時のことを思い出した。学年末試験が迫ったが、一年間の出席回数が二回だけと極めて少なかった私は、レオ・ヒューバーマン著(小林良正・雪山慶正訳)「アメリカ人民の歴史(上・下二巻)」(岩波新書)を読んで試験に臨んだ。同書は、初めは少年少女たちのために書かれたもので、一九三二年に初版が出版されているが、その後大人向きに書き足された。原題は《We, the people》である。一九五三年に書かれた日本語版への序文によれば、著者のレオ・ヒューバーマンは、一九三二年当時はまだ二九歳で、小学校の先生をしており、生徒たちに教える全教科のなかでも特に歴史に興味を持っていた。彼は歴史の主題は、ありきたりのアメリカの歴史、つまり日付や戦争や英雄のことを教えるのではなく、見通しを与え、現在の問題を理解する際に役立つ分析の道具を与えるようなものでなくてはならないと考えていた。したがって、彼の歴史の授業では、何が起こったかということについてはほとんど時間をかけず、なぜそれが起ったかという問題に大部分の時間を費やしたと述べている。これは、イラク戦争についても当てはまる。
この序文の中で、いまから一五〇年ほど前の、強烈な印象を与える逸話が紹介されている。「ある西部の満員の集会で数人の役人が、人ごみを押し分けて演壇に近づこうとしていた。彼らは「そこをどけ、われわれは人民の代表だぞ!」と怒鳴った。ところが、間髪をいれず群集の中から答があった。いわく、「てめえたちこそどけ、おれたちが人民だぞ!」
《We, the people》を書いたのは、この話の中で語られている精神が、彼の心を躍らせたからだと言う。
平気な顔で嘘をつき続ける小泉首相、人を小ばかにした福田前官房長官の物言い、閣僚の不見識な発言、自民党、公明幹部の不遜な態度を見ていると、彼らに向かって「嘘を言うな!」「憲法違反の自衛隊派兵をやめろ!」「国民をなめるな!」と大声で怒鳴りたくなる衝動にかられる。
こうして書いているうちにも、自民・公明両党が日本共産党、社民党、無所属議員の審議権を奪い、議会制民主主義を踏みにじり、年金法を強行採決し、さらに有事関連七法案の採決も強行した。憲法改悪の策動もますます強まっている。(以下、略)
下は、私の手元にある、1947年改訂版(ペーパーバック)の表紙です。