2017年11月23日(木)(憲法千話)(2018年4月16日改訂)
憲法便り#2230:11月8日(水)、故瀬長亀次郎さんのひ孫・Yさんに会いました!
11月4日(土)に、日本共産党新宿地区委員会主催の衆院選報告会に参加した際に、笠井亮衆院議員に会いました。
その際に、お祝いに、拙著『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』を、11月6日(月)に、参議院議員会館の議員事務室に届ける約束をしました。
ところが、当日、風邪をひいたせいで、37度5分の熱が出たので、翌日か、翌々日に変更したい旨を電話しました。
その際に、念のため、電話に出た女性秘書の名前を伺うと、セナガと聞こえました。
どのような字を書くのか聞いたところ、瀬長さんということが判りました。
私が、「あの瀬長亀治郎さんと同じ苗字ですが、ご親戚の方ですか』と質問すると、
「はい、瀬長亀治郎のひ孫デス」との返事。感激!
熱が下がった11月8日(水)午後に、議員会館の事務室を訪ねました。
迎えてくれたのは、Yさん。
私が、笠井議員への手紙と贈呈本といくつかの資料を渡し、説明をしていたところ、笠井議員が戻ってきて、
「風邪はどうですか?」と声をかけてくれました。
私が、「有難うございます、昨日まで寝ていました」「いま、瀬長さんに説明をしています」と答えると、
笠井さんは、「来客があるので、よろしく」と応じてから、奥の部屋へ入って行きました。
話が終わった後、私は、Yさんのために用意していたプレゼントを、バッグから取り出しました。
『検証・憲法第九条の誕生』(第六版)と、『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』を各一冊です。
私は、「もしも、瀬長亀治郎さんがご健在でしたら、カメジローさんに差し上げるものです。これをあなたに差し上げます」と言いながら、手渡しました。
彼女は、ロッカーにしまってある、議員時代の亀治郎さんが、沖縄から遊びに来た夫人、娘さん(Yさんの叔母)との3人で撮った写真を見せてくれた。彼女にとっては、宝物の写真だ。
彼女が笠井議員の秘書になるまでのことも聞きましたが、ここでは省略。
彼女がこの世に生を受けたとき、亀治郎さんは、現役を引退し、闘病生活を送っていた。
亀治郎さんが94歳でお亡くなりになった時は、まだ小学生だった。
だから、今年8月に公開された映画『米軍(アメリカ)が最も恐れた男、その名は、カメジロー』を見て、自分の曽祖父がどのような活動をしていたかを初めて知った。
彼女の話を聞いて、私も、この映画を必ず見ることに決め、事務室を辞した。
なんと素晴らしい出会い。
人生が、とても楽しい!