2018年5月30日(水)憲法千話
憲法便り#2632:早稲田大学理工学研究所の防空壕跡と戦災者供養観音像!
写真① 防空壕があった斜面
写真② 戦災者供養観音像(側面)
写真③ 戦災者供養観音像(正面)
写真④ 戦災者供養観音像建立の由来
(写真撮影は、2018年5月29日、撮影者は岩田行雄)
夏目坂をのぼりきったところの左側に、早稲田大学喜久井町キャンパスの入口がある。
狭いキャンパスなので、入り口をはいってすぐに突きあたり、右にまがる。
少し進むと、左側に、観音像が建立されている。
防空壕は、人々でいっぱいになっており、入ることを断わられた人がいた。
断られた人がどれ位いたのかは、判らないが、他の場所に逃げて、助かった人がいた。
だが、防空壕に逃げ込んだ人々は、全員、犠牲者となった。
5月25日に手向けられた白百合があった。
戦災者供養観音像建立の由来
第二次世界大戦の終局も近い昭和二十年五月
二十五日(1945年)米軍の東京空襲は、山手
地区の多くを焼土と化した。
理工学研究所も建物のほとんどが焼失し、
とりわけ研究所敷地地下に作られた防空壕
に避難した学生数名と、近隣の人々あわせて
三百余名が火焔と煙に包まれて、悲しくも尊い
犠牲となった。
昭和三十年五月罹災十周年を迎えるにあたり
これらの人々の霊を慰め、永遠の平和を祈願
するため本観音像を建立した。
昭和五十八年三月
観音像製作者 ニ紀会 永野隆業氏
早稲田大学理工学研究所