2019年1月16日(水)(憲法千話)
憲法便り#2807:幣原喜重郎元首相の経歴をご存知ですか?
【幣原喜重郎の経歴】
*この経歴は、幣原首相の長男・道太郎氏作成の略年譜を参照した。
明治5年(1872年)大阪府に生まれる。
明治28年(1895年)東京帝国大学英法科卒業。
明治29年(1896年)外務省に入省、領事館補、仁川在勤。
明治32年(1899年)ロンドン在勤。
明治33年(1900年)領事、アンヴェルス在勤。
明治34年(1901年)釜山在勤。
明治38年(1905年)外務書記官、大臣官房電信課長。
明治41年(1908年)大臣官房取調課長。條約改正準備委員。
明治44年(1911年)外務省取調局長。
明治45年(1912年)大使館参事官。米国在勤。
大正2年(1913年)英国在勤。
大正4年(1915年)外務次官。
大正8年(1919年)特命全権大使、米国駐剳。
大正9年(1920年)男爵を授けらる。
大正10年(1921年)ワシントン軍縮会議に全権委員として出席。
大正13年(1924年)外務大臣(第一次加藤内閣)
大正14年(1925年)外務大臣(第二次加藤内閣)
大正15年(1926年)外務大臣(第一次若槻内閣)、貴族院議員に勅任。
昭和4年(1929年)外務大臣(浜口内閣)
昭和5年(1930年)浜口首相奇禍のため内閣総理大臣臨時代理となる。
昭和6年(1931年)外務大臣(第二次若槻内閣)
昭和20年(1945年)10月 東久邇内閣総辞職の後を受け内閣を組織す。
昭和21年(1946年)国務大臣兼復興庁総裁(第一次吉田内閣)
昭和22年(1947年)大阪府より衆議院議員に選出、進歩党総裁、のち民主党名誉総裁、自由党に合体後同党最高顧問。
昭和24年(1949年)2月11日 衆院議長に選任。
昭和26年(1951年)3月10日 狭心症のため急逝。
*外務省取調課、取調局に関して正確を期して、外務省外交史料館に問い合わせ中。
**この経歴は、幣原喜重郎著『外交五十年』(原書房版、昭和49年)の巻末に付されたもの。幣原喜重郎の長男・道太郎氏が、自ら記した解説の末尾に収めた。