2016年5月6日(金)(憲法千話)
憲法便り#1716:熊本への激励メッセージ。「熊本女性学研究会」の素晴らしい研究を紹介します。4月19日に下記の『憲法便り#1700』を掲載しました。
その後、大変な時に電話などはご迷惑なことと思い遠慮をしておりましたが、いくら待っても、地震の収束のめどたがたたない状況が続いておりましたので、一昨日、5月4日午後、犬童美子さんに地震見舞いのFAXを送りました。
最初は、「相手の応答がありません」という、自動音声の応答が繰り返されるばかりで、心配がつのりましたが、4時間ほど後に、もう一度試みたところFAXを送信することができました。
この直後に電話をかけたところ、ご本人が買い物からお帰りになったばかりとのことで、ほっといたしました。
この日も、震度4が2回(その後3回になりました)と強い地震が続いておりましたが、ご本人はお元気とのことでした。
しかしながら、熊本市内の被害は、かなりひどいもので、いつも研究会に使用していた3箇所の公共施設は、すべて使用不能になり、毎月一回、欠かさず続けてきた研究会の会合は、今回は、やむを得ず中止になさるとのことでした。そればかりかコンサートホールや、劇場などもことごとく破壊され、使用不能とのこと。
さらに、熊本から阿蘇に通じる6つの橋は、阿蘇大橋をはじめ5つが落ちてしまっているということで、東京には伝わっていないことが多いと実感しました。
それから、もう一つ、研究会のメンバーのうち、最高齢の方の家が倒壊してしまったとの話も聞きました。
今日、国立国会図書館に行き、『熊本日日新聞』の4月15日以降を見てきましたが、地元紙だけに、想像をこえる惨状を正確に報じていました。
おざなりの施策ではなく、国を挙げての支援が必要であることを強く感じました。
そのような状況にありますが、困難を乗り越えて、「熊本女性学研究会」の活動を続けていただきたいと思っています。
以下に、犬童(いんどう)さんのご了解を得て、第9号に掲載されている
犬童美子編「資料 新聞等にみる家族史研究会と熊本女性学研究会のあゆみ(5)」を紹介します。
第1表 家族史研究会と熊本女性学研究会のあゆみ 1970-2014」
第2表 「女性史研究」 第23~26集 総もくじ 1988-1991年
第3表 「史学史の窓」 第1~20号 総もくじ
「史学史の窓」 第1巻 第1~12号 1988.VIII~1991.VI
「史学史の窓」 第2巻 第13号~20号 1991.IX~1993.VI
第4表 熊本市制100年を考える連続講義 第1~10回 総もくじ 1989年
第5表 女性学研究会の講義・講演・報告 第1回~14回 総もくじ 1990年
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【再録】
2016年4月19日(火)(憲法千話)
2016年4月20日(水)加筆・訂正
憲法便り#1700:熊本地震の犠牲者の方々へのお悔やみと、被災者の皆さんにお見舞いを申し上げます。熊本地震の犠牲者の方々へのお悔やみと、被災された皆さんに心からのお見舞いを申し上げます。
実は、地震発生の3日前、4月11日(月)に、『新女性史研究』を発行している「熊本女性学研究会」の犬童美子さんからお電話をいただいたばかりでした。熊本市からです。
私が昨年発掘した資料を、同誌に寄稿したい旨を申し入れた4月3日付の手紙について、4月9日の会議で検討してくださった結果をお知らせ下さる電話です。
資料は、昭和22年3月に司法省民事局が発行した民事月報号外『日本國憲法の施行に伴う民法の應急的措置に關する法律理由書』で、民法の中でも、両性の平等に関する時限立法10箇条の条文と解説。
会議の前日の4月8日にも、この資料の意義について、手紙の内容をもっと判り易くするようにとの要望を受けていました。
4月11日(月)に電話をいただいたのは、そのご要望に応えるための手紙をほぼ書き終えたところでした。
私の申し入れは会議で了承され、『新女性史研究』の次号の巻頭論文として掲載して下さることになったとの嬉しいお知らせ。準備中の手紙に、何点かの資料を添えて送る約束をしましたが、5月の会議まで時間があるので、急がなくてもよろしいとのお話だったので、手紙の説明部分を丁寧に書き直していたところに大地震が発生。
心配なのですが、ご迷惑がかかってもいけないので、お見舞いの電話は、まだ控えています。
犬童さんとお目にかかったことはありませんが、私の著作を、研究会会員の皆様の分まとめてご注文いただいたことがきっかけで、電話と手紙での連絡だけですが、かなり長い年月のお付き合いです。『新女性史研究』は、犬童さんから寄贈を受けて初めて知った研究誌です。いま改めて、第9号に掲載されている犬童美子編「資料 新聞等にみる家族史研究会と熊本女性学研究会のあゆみ(5)」を辿ると、高度な研究が目白押しです。今回は、第1表から第5表までを簡単に紹介しておきます。
第1表 家族史研究会と熊本女性学研究会のあゆみ 1970-2014」
第2表 「女性史研究」 第23~26集 総もくじ 1988-1991年
第3表 「史学史の窓」 第1~20号 総もくじ
「史学史の窓」 第1巻 第1~12号 1988.VIII~1991.VI
「史学史の窓」 第2巻 第13号~20号 1991.IX~1993.VI
第4表 熊本市制100年を考える連続講義 第1~10回 総もくじ 1989年
第5表 女性学研究会の講義・講演・報告 第1回~14回 総もくじ 1990年
連絡が取れれば、近いうちに犬童さんのご了解を得て、この資料を画像で紹介したいと思っています。
「東京も、いつ直下型の大地震が来てもおかしくない時期に入っている」と言われて久しい。
だから、大地震で犠牲になった方々、被災者の皆さんが置かれた困難な状況の報道は、他人事とは思えない。
いま、飲料水、食糧の不足、トイレの不足、避難場所の不足、せっかく届いた支援物資の配給体制の不足、医療体制の不足その他、様々な問題点が浮かび上がっている。
そして電気、ガス、水道といったライフラインが復旧していない地域もある。
せっかく、避難したのに、自家用車の中での生活による、「エコノミークラス症候群」で、亡くなった方や意識不明の重体の方も出ている。
このニュースを見て、車中泊をしている方々に注意を喚起するするために、「エコノミークラス症候群」「エコノミー症候群」という表現に、(車中泊血栓症)と補足したほうが、良いのではないかと考えている。
いつ終息の方向に向かうのかが判れば、生活再開、再建の見通しのつけようもある。
だが、今回の群発地震に関しては、気象庁も、地震研究者も、誰も確信を持って何かを語ることが出来ない状況にある。
熊本地震を前震として、本震以後、北東および南西の両方向に、それも同時のドミノ倒しのように、震源域が広がりつつある。
そして、和歌山まで伸びる断層帯への震源の広がり、日向灘から南海トラフへの波及の懸念も語られている。
現実の極度の困難と、終わりのない不安。
私が著作の注文を直接いただいた方々は、直接熊本市内だけでなく、阿蘇地方、さらには、九州全県にいらっしゃいます。宮崎には2004年10月に講演にお招きをいただき、それ以来のお付き合いの方もいます。
そのような訳で、上記のようなことを、頭の中で何回も繰り返してきました。
九州は東京から遠いけれども、とても近い存在です。
この文章を書いている間にも、何回か、地震速報がありました。
いまとりあえず私に出来ることは、募金と、激励のメッセージを送ることだと思っています。
激励メッセージのひとつの形として、ここで、熊本女性学研究会の優れた研究の一端を知っていただくため、
『新女性史研究』第9号 特集 高齢社会と福祉政策(2014年6月刊)の、
表紙、目次、背表紙」を画像により紹介します。
【表紙】
【目次】
【目次】
【背表紙】
多大な困難を乗り越えて、熊本女性学研究会の優れた研究活動、そして出版活動が続けられることを願っています。