2020年3月12日(木)(憲法千話)
憲法便り#3129:リバイバル・シリーズ:浅草寺境内の戦跡めぐり全6回(その4);第二次大戦中、戦争に使うため「金属」として供出させられ、昭和六十一年十一月三日に復元された九代目市川団十郎の銅像の話。
3月10日には間に合いませんでしたが、ようやく見つけました。
「観音さま」でお馴染みの、浅草寺(せんそうじ)の境内には、多数の慰霊碑、戦跡がありますので、再録します。
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2013年9月10日
憲法便り#284:浅草寺戦跡めぐり&名店「釜めし 麻鳥」(その4)
「復元された九代目市川団十郎「暫」の銅像」
今回の戦跡は、第二次世界大戦中の昭和十九年十一月三十日に、戦争に使うために「金属」として供出させられ、昭和六十一年十一月三日に復元された九代目市川団十郎の銅像についてです。
浅草寺本堂の裏手に、観光バスの駐車場に使われている大きな広場があります。
銅像は、その入り口にあたる場所にあります。
歌舞伎ファンの方ならば、中村勘三郎さんが、この広場で平成中村座の夢を実現したことをよくご存知だと思います。
銅像の写真と、台座に記されている「銘」を紹介します。
銘
大正八年 江戸歌舞伎ゆかりの地 浅草の
浅草寺境内に 劇聖と謳われた明治の名優
九代目市川団十郎の歌舞伎十八番「暫」の銅像が
作られました この銅像は近代彫塑の先駆者
新海竹太郎氏の傑作であり 歌舞伎の象徴として
全国の人々からしたしまれておりました ところが
第二次世界大戦中の昭和十九年十一月三十日
金属類回収のため この「暫」の銅像も供出の
命を受け 四十余年を経てまいりました
この度 十二代市川団十郎襲名を機に 復元の
機運が高まり 浅草寺の御理解のもと 多くの
方々に御尽力を賜り ここに「暫」の銅像が
再現されました 十一代目並びに十二代目市川団十郎
父子 地元浅草及び松竹株式会社三者の永年の
願いが叶えられたことになります
こののちも 歌舞伎の隆盛とともに この
「暫」の銅像が歌舞伎の象徴として 日本国民は
もとより世界の人々からも 幾久しく愛されることを
願ってやみません
昭和六十一年十一月三日
宇野信夫 撰書
九代目市川団十郎「暫」銅像復元建設委員会
十二代 市川団十郎
浅 草 観 光 連 盟
松 竹 株 式 会 社
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