2020年6月27日(土)(憲法千話)
憲法便り#3409:落合百景:牡丹で有名な東長谷寺薬王院を紹介します!
御住職のご了解を得ましたので、薬王院について写真付きで、紹介します。
薬王院が発行した『薬王院縁起』には、開基、本尊、牡丹についての説明がありますが、初めに次のように書かれています。
当山は新義真言宗豊山派の属し総本山長谷寺の末寺として瑠璃山医王寺薬王院別名東長谷寺と称えております。この地は鎌倉幕府に仕えた人達が落合って移住し帰農した為、又、神田川と妙正寺川が合流する地にある為に、「落合」と呼ばれたと言伝えられています。
開基、本尊、牡丹の由来については、次のように説明されています。
「開基 鎌倉幕府頼朝公の帰依僧である願行上人の開山と伝えられ、その後永く荒廃したのを、僧實寿によって延寶年間に中興されました。しかし元文年間に火災に遭い寺寶、記録等を悉く消失、散逸してしまい、史實は詳らかではありません。」
「本尊 薬師瑠璃光如来(身丈・九寸)の座像で、武蔵風土記によると、行基菩薩の御作と伝えられております。」
「牡丹 花の王様牡丹は古来、総本山長谷寺の観音信仰が遠く大陸にまで及び、中国より献納されたのでありますが、今日の様に多数栽培され始めたのは、徳川時代に長谷寺が仏教学の学山として、常に千人以上の僧侶を有したため、その薬用(根皮は頭痛、腰痛に効果があり、長寿の妙薬)として植えつがれてまいりました。」
最後に、次の説明があります。
「毎年五月になると山全体が色とりどりの花によって覆われ艶麗なること他に比類なく、誠に天来の楽園にあるが如き観を体しております。
薬王院では、この霊場を関東に移すべく、昭和四十一年、百株拝受したのが始まりで現在では約四十種、千株に至っております。」
6月26日に撮影しました。
天気は良く、青空だったのですが、残念ながら、曇り空のように映っています。
デジカメの限界なのかも知れません。
参道の入り口から山門を臨む。
山門
東長谷寺 瑠璃山 薬王院の石碑
左側が牡丹の株が集中しているところ
墓地に続く石段
石段の突き当たりに、六地蔵がある