2020年7月11日(土)(憲法千話)
憲法便り#3437:ZAITENのスクープから、『JR東日本「堕とされた偶像」の後継者たち』を取り上げます!(その1)
この項目は、2万字制限にかかってしまいましたので、(その1)及び(その2)の二回に分けて掲載します。
この記事は、ジャーナリスト・幅 耕平氏によるもので、以下の三つの表題がある。
表紙の見出しは、JR東日本「堕とされた偶像」の後継者たち)
目次の見出しは、JR東日本「松田昌士」堕とされた偶像(12頁)
本文の見出しは、”アンチ松田”の後継者たち JR東日本「松田昌士」堕とされた偶像(56頁)
記事そのものは、56頁-57頁の見開きで、表題に続いて、次の導入文が書かれている。
「『国鉄民営化3人組』の1人で元JR東日本社長・会長の松田昌士がこの世を去った。しかし、その最晩年は自らの路線を否定される日々だった。コロナ禍の今、後継トップたちで大丈夫か――。」
この他に、次の二つの中見出しがある。
「JR東労組”掃討”の内幕」
「コロナ禍で未曾有の危機」
わたしがこの記事の中で注目したのは、56頁から57頁にかけての次の部分である。
「JR東首脳陣による松田排除が決定的になったのは、18年2月下旬。当時社長だった富田が首相官邸に呼ばれ「来るべき東京五輪に向け、しっかりとした労組対策を」「五輪が『人質』に取られるようなことがあってはならない」とクギを刺されたことで、事態が動き始めた。同月上旬、JR東労組は春闘の団体交渉で「スト権」に言及。「五輪期間中にスト権行使で揺さぶられたら、安倍政権の面目は丸潰れになる」と官邸は恐れたのである。政府首脳は松崎の死去後も革マル派の影を引き摺る労組の骨抜きを富田に迫った。」(以下、略)
これは、国家による不当労働行為である。
不当労働行為が行われた場所は、首相官邸。
その責任は、当然、安倍首相にある。
幅 耕平氏は、続けて、JR東労組の組合員数の激減について、次のように述べている。
「お上のお墨付きを得たとばかりJR東首脳陣は大攻勢に出る。本社や現場の管理職が組合員に脱退を強要するのは「不当労働行為」として禁じられているが、当時現場では「法令違反を恐れず壊滅せよ」との檄が上層部から飛ばされていたという。18年2月1日時点で4万6870人いたJR東労組の組合員は3カ月後には3分の1に急減、その後も組合員流出には歯止めが掛からず、今年3月1日現在では「7040人になった」と報じられる(4月11日付「岩手日報」)。
これを読んで、1988年6月から2005年4月まで「国労を勝たせる会」の会長を務めたわたしは、国労が組合潰しの攻撃を受けた時の状況と酷似していることを思い出した。
下記の文章は、わたしが書いた、1988年6月3日(金)午後6時30分-午後8時30分に、豊島区民センター6F文化ホールで開催した「国労の都労委闘争を『勝たせる会』」への参加を呼びかけた「呼びかけ文」である。
6・3 国労の都労委闘争を「勝たせる会」にあなたの参加を!
国民の共有財産である国鉄資産の
大資本による分どりと、
国労つぶしを狙いとした国鉄の
『分割・民営化』が強行される過程で、
不安にかられた100余名が自殺をはかり、
荒廃した職場に見切りをつけた多くの仲間が国鉄を去り、
差別・選別をふりかざした国労脱退工作に抗しきれず、
多くの仲間が苦しみ悩みながら国労をやめてゆきました。
このような時、あなたならどのような道を選びましたか?
激しい攻撃にもかかわらず、当局に屈服しない
四万三千人の組合員は、国労にふみとどまりました。
しかしながら、かれらに対して国鉄時代に倍する
差別・選別、不当配転が続けられ、
いまも毎日数えきれないほどの
不当労働行為が行われています。
国労の組合員という理由だけで、
ベテランの運転手が、車掌が、駅員が、本務をはずされ、
床のガムはがしや、カーテン洗い、
駅のトイレの清掃を命じられ、
あるいは駅の売店などで働かされています。
かれらに対して
「くびにならないだけましだ」という人もいます。
このような時、あなたならどうしますか?
かれらは全国各地で労働委員会に提訴して、
「もとの職場にもどせ」と誇り高く闘っています。
差別・選別をやめ、
不当労働行為をやめろと闘い続けています。
私たちは訴えます。
かれらの闘いを孤立させてはならないと!
かれらの勇気と誇りを失わせてはならないと!
かれらとかれらの家族の苦しみを無駄にしてはならないと!
かれらを励まし、闘いを勝利させるための結成総会への
あなたの参加を!
結成総会
日 時 1988年6月3日(金) 午後6時30分-午後8時30分
会 場 豊島区民センター、6F文化ホール
会場費 200円
この考え方は、いまも変わっていない。
困っている人を見たら、助けるのは、当たり前。
政治的な立場や、思想信条は問わない。
悪いことをする奴は、「許せねえ!」
下町、葛飾(かつしか)で育った気風(きっぷ)である。
わたしが編集責任者を務めた『国労の旗の下に』の中から、
国労の組合員が受けた差別の実態を含め、次の諸点を紹介しておきたい。
□『国労の旗の下に』の表紙(1998年4月1日 大塚駅前での座り込み)
□「国鉄の分割・民営化に反対し国鉄を守る国民会議」呼びかけ人 小島成一
□JR東日本が非常事態宣言(47頁)
□国労の団結は守られた―国労第50回臨時全国開会(修善寺)(5―6頁)
□あいつぐ勝利命令(9-10頁)
■人活センターから貨車解体へ(11-12頁)
■ベテラン社員から仕事を奪う(17-18頁)
勤続10年、20年のベテラン運転士たちが、
国労の組合員というだけである者はまともな仕事も与えられず、
またある者は下請企業の出向社員として清掃などに従事させられている。
『国労の旗の下に』の表紙
(1998年4月1日 大塚駅前での座り込み)
表紙裏の巻頭のことば
「国鉄の分割・民営化に反対し国鉄を守る国民会議」呼びかけ人
小島成一
「いま、反撃のとき」
権力と独占が、本気になって潰しにかかったとき、
残れた組合はなかった。
しかし、国労は無法で冷酷な迫害に耐えて残った。
この闘いを支えたすばらしい力量を
日本の労働運動はもっている。
国労と当局の力関係は、
目に見える形で大きく変わりはじめた。
当局の支配がゆらぎはじめた。
国労であるという理由だけで、
売店や「うどん屋」などに不当配属された組合員を
もとの職場にもどさざるを得なくなっている。
国労潰しを、右寄り再編の突破口と位置づけた
支配者の戦略は失敗しかかっている。
自信と確信をもとう。
清算事業団の仲間の首を切らせないためにも、
全面解決にむけて、
反撃に転ずる隊列を組みなおすときがきた。
(こじませいいち・弁護士)
JR東日本が非常事態宣言(47頁)
国労第50回臨時全国開会(修善寺)(5―6頁)
あいつぐ勝利命令(9-10頁)
人活センターから貨車解体へ(11-12頁)
↑床のガムはがし
ベテランへの差別の実態(17ー18頁)