2020年10月10日(土)(憲法千話)
憲法便り#3683:中学生が道徳の授業で考えた辺野古新基地問題「私」ならどうする?
2020年4月5日(日)付『平和新聞』第5頁を引用しました。
【見出し】
「中学生が道徳の授業で考えた辺野古新基地問題「私」ならどうする?」
【本文】
この3月まで奈良県内の公立中学校で教員をしていた嘉生寛(かしょう・ひろし)さんは、退職前の2月、3年生の「道徳」の授業で辺野古の米軍新基地建設問題を取り上げました。その実践を報告していただきました。
中学3年の道徳「村長の決断」では、過疎化する故郷を捨てるか、とどまるかの選択がテーマになっている。
このテーマだけでは1時間の授業がもたないと思った私は、「辺野古の基地問題」を生徒たちに考えさせようと思い立った。
私の中学校では修学旅行を沖縄に設定し、事前に沖縄戦や米軍基地について学習し、平和と命について考えている。基地に反対して故郷を守るか、基地に依存する生活をとるのかを迫られる沖縄県民の気持ちをこの生徒たちなら考え及ぶことができるのではと思ったのである。
とりわけ、私が訴えたかった柱は、基地に反対する住民運動を鎮静化するために、住民の中に亀裂が生まれるような策動が行われることであった。
辺野古のたたかいでも、かつての同志である漁師たちが行政に押し込まれ、「警戒船」として住民側の運動を取り締まる側の仕事についてしまう。「金で町が潤うのなら文句を言っても仕方がない」――。この戦略は、原発や道路開発でいつも使われる常套手段だ。
生徒たちに訴えるのに、「ことば」だけの力不足より、「実際の映像」の力が勝ることは明らかで、辺野古の基地問題を描いたドキュメンタリーを見せることにした。映像は、平和委員会の知り合いに頼んで入手することができた。
《分断の痛みに心寄せ》(中見出し)
授業はいたってシンプル。「村長の決断」を私が朗読し、故郷について二者択一を迫られる前置きを伝えた後、辺野古のドキュメンタリーのDVDを視聴。ところどころで、私が黒板に解説を足す。
本当は生徒同士のディスカッションを持てればベストなのだが、私はそのような授業が苦手、また時間も限られている。DVD視聴の後、10分ほどで感想を書かせた。生徒たちには、住民同士が引き裂かれていくこと、抗議する市民を取り締まる海上保安庁の人間ですら本意でやっているとは限らないことなどを慌てずにしっかり伝えた。
「とても難しい選択だと思いました。家族に中でも意見が分かれたり、住民どうしでも対立してしまったり、米軍基地を一つ造るだけでこんなに問題が起きてしまうのだと知りました。なんで米軍基地をこれ以上増やさなければならないのか、それが疑問でした」
「自分の県の海が基地になるのはやっぱり悲しいことだし、あきらめている人も本当は嫌なのだろうなと思った。けれど、30億円も出して一部の住民を抑制し、住民同士を対立させるのは少し違うと思う」
「奈良には海はないけど、もし奈良公園や寺を無くして基地を建設すると言われたら嫌です。沖縄の人だけに負担をかけるのではなく、日本国民全員が考えなければならないことだと思います」
《本当の敵は誰なのか》(中見出し)
公立学校の教員である以上、偏った意見は言いにくい。毎日の授業の中でも平和に触れることはあり、生徒の中には、平和を守るためには武力が必要、アメリカが必要と答える者もいる。DVDの感想文に「確かに騒音などで生活しにくくなるのは嫌だが、もし米軍が撤退したら中国やロシアが何をしてくるかわからない。日本がもっと強くなる必要がある」と書いた生徒もいた。
それを簡単に否定するのは教育として正しくない。私たち教職員も組合を分裂させ、自ら弱体化した苦い経験がある。意見が対立する目の前の仲間を「敵」と勘違いして論破してしまおうとするのだ。正しいたたかい進めていても、時にしてたたかい方を間違うことがあり、大きな失敗に繋がる。
中学生には難しいかもしれないが、「本当の敵はいったい誰なのか」「本当の解決とは何なのか」を間違わないよう警戒できる賢さを身につけてほしい。
生徒たちは一定内容の濃い感想を書いてくれたが、「これがなぜ、道徳なのか」と内心思っている者も少なくないと思う。ただ、普段から戦争や平和、原発や環境破壊、貧富の差などの話を聞かされているため、なんとなく私の意図を察していると思っている。そして、生徒たちが将来こういう場面に出くわした時、悩み考える材料になってくれればと願っている。
最近、卒業生に送る私のメッセージは「10年後の日本をよろしく」である。
↓生徒たちの感想文
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【参考資料・再録】
2020年10月11日(日)(憲法千話)
憲法便り#3685:1951年4月27日にマッカーサーが行った「帰米演説」で述べられたアメリカの対日、対アジア戦略の基本は変わっていない!
以下は、
第一節 『帰米演説議事録』(4123-4124頁)より
マッカーサーは、1951年4月27日に「帰米演説」を行なっているが、この「帰米演説」の中で「アジア及びアジア人に対する認識」について語っている。
マッカーサーはこの演説を「老兵は死なず。ただ消え去るのみ。」という、日本でもよく知られた言葉で締めくくっているが、これは彼自身のことばではなく、有名なバラード(ballad=歌謡)を引用したものである。締めくくりの部分については後述する。
議事録を読むと、突如、異常な形で解任されたマッカーサーが、その鬱憤(うっぷん)をはらすような「帰米演説」は、まるで凱旋将軍の演説のようである。
「帰米演説」を聴く側も、「米上院軍事・外交合同委員会」で質問をする側も、「赤い中国」に対する反共思想では、基本的に変わりない。
この「帰米演説」には、多分にアメリカ合衆国国会への、マッカーサーの開き直りを含めた自己宣伝があり、それと同時に、聴く者への皮肉や挑発、そして演出がある。
演説を行った会場には、彼を解任したアメリカ合衆国大統領トルーマンをはじめ、上下両院議長、上下両院議員が列席している。GHQでの部下であったホイットニー将軍(准将)も陪席を許されている。マッカーサーの演説は、26回ものapplause(拍手喝采)で中断され、Applause,the Members rising(総員起立)も1回(4124頁)ある。拍手喝采の場面を追うと、現在のアメリカ合衆国国会の状況に酷似している。
以下に、『米合衆国国会議事録』(1951年4月27日)(4123-4125頁)から、マッカーサーの思想を端的に表現している部分を紹介する。
【太平洋での勝利により太平洋は米国の広大な堀となった】〔下線は、岩田による〕
「戦前の彼らの生活水準の哀れむべき低さは、戦争のあとに続く荒廃の中で、現在は底知れぬ深さにある。世界〔岩田注:主に欧米〕の思想は、アジア人の思考の中では、ほんの僅かな役割しか果たしておらず、また、僅かしか知られていない。民衆が必死になっていることは、彼らの胃袋のために少しでも多くの食べ物を得ること、彼らの体に少しでも良質な衣類をまとうこと、彼らの頭上に少しでもしっかりとした屋根を得る機会を見つけること、そして、代表的な国家主義者(nationalist)が主張する、政治的自由の実現のためであった。このような政治的・社会的条件は、我が軍の国家防衛上、直接的な関係ではなく、我々が、陥りやすい過ちを避ける目的で、新たな計画を作成するために、熟考しなければならないと言うことでもない。そして、思考そのものが、直接的かつ速効性を求めなければならないと言うことではない。
我が軍の国家防衛上、より直接的かつ速効性のある関係は、今次の戦争の経過で太平洋の戦略的な可能性における変化を作り出した。より重要なことは、アメリカ合衆国の西側の戦略的国境はAmericas〔米州:NorthAmerica, South America, Central America〕の沿岸地方にあり、ハワイ、ミッドウエー、グアムからフィリピン諸島を通って拡張された海岸線に至る、危険にさらされている、ある突出した島に据えられている。この突出部は、軍事力の前哨地点ではなく、敵が攻撃可能で、これに沿って攻撃をしてきた、弱点の大通りであった。太平洋は、この国境地帯の島を攻撃し、略奪しようとする、いかなる軍事力にとっても、可能性を包蔵する地域であった。
これらのすべては、我々の太平洋戦争の勝利によって変えられた。我々の戦略的国境は、その時から西に移った。これは、太平洋全体をそっくり包含する。太平洋は、我々がそれを維持する限り、我々を護る広大な堀となった。我々の国境地帯は、その時点で、西に移った。勿論、これはAmericas(米州)全体、及び太平洋地域のすべての自由主義国家のための防御壁としての役割を果たす。我々は、アジアの海岸地域を、我々によって維持されるアリューシャン列島からマリアナ諸島まで弓なりに連なる島々の鎖、及び我々の自由主義同盟国によって、これを支配する。
この島の鎖により、我々は、海軍力及び空軍力を伴い、ウラジオストックからシンガポールに至る、アジアのすべての港で優位に立つことが出来、そして太平洋へのいかなる敵の動きも妨げることが出来る。アジアからの、略奪を目的とする攻撃は、陸・海・空軍共同の作戦行動に拠らなければならない。前進に至る常用航路、及びこの上の空路を統制する、陸・海・空軍の共同のない作戦は、成功しない。海軍そして空軍の制海権及び制空権と、基地を護るための小規模な地上部隊がある。それは、アジア大陸からの、太平洋地域の我々あるいは、我々の友人達への如何なる大規模な攻撃も、失敗に帰する運命である。このような条件下では、太平洋は、もはや、予期された侵略者が差し迫っている、接近の大通りではなく、打って変わって平和な湖の友好的な様相を呈している。
我々の防衛線は、自然条件のものであり、それは、最小限の軍事力と軍事費で維持できる。それは、如何なる者に対しても攻撃を目論まず、如何なる要塞に対しても、本質的に、攻撃的な軍事行動を準備していない。だが、当然、侵略に対して、無敵の防衛は維持される。西太平洋沿海地域におけるこの防衛線の保持は、この地域の弓型全体の保持に、完全に依存する。この防衛線への、敵意を持った強国による、如何なる大規模な侵略も、その他の攻撃を受けやすいすべての要塞から、仕返しを受ける運命となる。これは、軍事上の判断である。私は、この判断に異議を申し立てる軍事的指揮官に、いまだ出会ったことはない。(拍手喝采)
この理由から、私が過去に、軍事上の非常事態として強く勧告してきたのは、状況を放置すれば、台湾が共産主義の支配下に、必ず落下するということだ。(拍手喝采)かつて、フィリピンの自由を脅かし、日本の喪失を齎すであろう不慮の事態があった。そして、この事態は、我が軍の西側の国境地帯を、カリフォルニア、オレゴン、ワシントン州の海岸線にまで押し返す恐れがあった。」(以下、省略)