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岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞

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2020年 12月 30日

憲法便り#3993:富岡八幡宮特集号のブログに、念願の『東京新聞』のカラー写真を入れる条件が整いましたので紹介します!

2020年12月30日(水)(憲法千話)
憲法便り#3993:富岡八幡宮特集号のブログに、念願の『東京新聞』のカラー写真を入れる条件が整いましたので紹介します!

今日、嬉しい新たな出会いがありました。
2020年8月15日(土)付『東京新聞』朝刊22面の記事に感動し、取材をしてきましたが、どうしても、下記のカラー写真がないと、画竜点青(がりょうてんせい)を欠くという思いがありました。
しかし、『東京新聞』の知的財産課の菊(きく)氏から、「記事の利用については問題ありませんが、肖像権の問題があるので、丸山聡一宮司と氏子の浜田嘉一さんの了解を得ていただきたい」というお話がありました。

直接取材を原則としてきましたので、長い間文面を考えてきましたが、ようやくまとまりましたので、28日に拙著『検証・憲法第九条の誕生』および『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』を添えて、丸山聡一宮司にご了承を頂きたいこと、氏子の浜田嘉一の連絡先が判らないので、お教えいただきたい旨をお願いしました。

その結果、今朝9時過ぎに、丸山宮司からご了解の返事と、浜田さんの電話番号を教えていただきました。
さっそく浜田さんに電話を差し上げたところ、ご了解の返事をいただきました。
そして、嬉しいことに、拙著『検証・憲法第九条の誕生』および『世論と新聞報道が平和憲法を誕生させた!』、及び『検証・マッカーサー書簡の所在と憲法第九条「幣原首相提案説」』、各10冊のご注文を下さいました。

新型コロナウイルスの感染の広がりで、生活は一変してしまいましたが、このような新たな出会いで年末を迎えることが出来たことを、心から喜んでいます。

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2020年8月15日(土)付『東京新聞』朝刊22面を引用。

 「深川の八幡様」として知られる江東区の富岡八幡宮(富岡1)の境内の奥に、2本の石柱がひっそりと立っている。東京大空襲で破壊された鳥居の柱だ。氏子の浜田嘉一(よしかず)さん(83)=国分寺市=が今夏、柱が貴重な戦争の痕跡であることを伝える説明板を奉納し、柱の隣に設置された。「大空襲で東京の下町一帯は焼きつくされ、爪痕が残されていない。広島の原爆ドームのような戦災遺跡になれば」と、思いを語る。 (井上幸一)
 富岡八幡宮や柱の説明文によると、鳥居は一九三七年に合末社(ごうまっしゃ)の前に建立された。四五年三月十日の東京大空襲で八幡宮は大部分を焼失し、鳥居も焼夷弾が直撃。上部の笠木、貫(ぬき)の部分が崩れ落ち、二本の柱だけが残された。
 浜田さんは三七年、地元の深川生まれ。小学生のときの東京大空襲では焼夷弾の雨を逃げて助かったが、祖父、伯父を亡くした。父は大陸で戦死している。
 合末社周辺は、幼少期の遊び場で、落ちていた焼夷弾の空筒を振り回した記憶もある。六二年に八幡宮で結婚式を挙げたとき、二本の石柱が自身と「同い年」の鳥居跡と気付いたが、見慣れた光景のため、その意義まで思いが至らなかった。しかし昨年、昭和天皇による大空襲被災地視察を伝える碑が境内に建立されたことから、「壊れた鳥居も戦災の記憶をとどめる遺跡だ」と考え、説明板の奉納を八幡宮に願い出た。
 説明板は六月に設置された。丸山聡一宮司は「こちらが気が付かないことをよく申し出てくださった」と、浜田さんに感謝している。一方、戦後七十五年間、鳥居が修繕されずにきた理由については「分からない」とする。
 大空襲を語り継ぐ活動をしている浜田さんは「鳥居が七十五年間、被弾のままの姿だったことは、大空襲の記憶をとどめよという八幡神の意思なのでは」と話している。
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『富ヶ岡』令和二年秋号No.98=富岡八幡宮社報(深川八幡宮)第6面を引用しました。


富岡八幡宮の被弾鳥居―空襲の記憶―

 濱田嘉一

 富岡八幡宮本殿の東側、横綱の碑の背中合わせに合末社(車析社、客神社、野見宿禰社、住吉社、聖徳太子社、天満天神社、祖霊社、花本社の各社)の連棟の社が祀られています。その参道の入り口にはギリシャの古代遺跡の如く二本の石柱が立っています。

 昭和二十年三月十日未明の東京大空襲により、焼け野原と化した深川一帯、その中にあって、山(築山―深川の富士山―)、池(弁天池)、森(鎮守の森)がある八幡宮境内は、焼け残った福住町・佐賀町に住む子供たちの絶好の遊び場でした。特に本殿と弁天様の間にある二本の石柱の周辺は、小学校二年生の私のお気に入りの場所であったようです。石柱に登ったり、付近に散らばっていたコンクリートの破片を積み重ねたり、焼夷弾の六角形の空筒を振り回したりして遊んだ記憶が鮮明に残っています。昭和三十一年には現在の社殿が造営され、境内全体も一段と整備されましたが、合末社前の二本の石柱だけはその後も、そのままの姿を留めていました。その石柱が昭和二十年三月の大空襲の最中、焼夷弾の直撃により、上部が破壊された鳥居であったことに気づいたのは、昭和三十二年六月八幡宮本殿で結婚式を挙げた日の早朝、久しぶりに境内を散歩した時でした。子供のころから見慣れた二本の石柱の姿であったので、その意義を考えるまでには至りませんでした。

 しかし、昨年(令和元年)建立された東京大空襲の記憶を記した「昭和天皇救国の御決断碑」に詣でた折に、七十五年間被弾したままの姿の二本の石柱「合末社の鳥居」も同じ戦災の記憶を止める遺跡であることに気づき、このたび、その旨の説明板を奉納させていただきました。

 東京大空襲での焼夷弾爆撃により、当時殆ど木造であった東京下町一帯の建造物は、焼き尽くされ、「広島の原爆ドーム」や「長崎の浦上天主堂―再建―」に類する戦争遺跡がありません。しかし、この鳥居が七十五年間、被弾のままの姿を今日まで、晒しつづけたことは「東京大空襲の記憶を留めよ」とする八幡神のご意思とも考えられます。

 奉納の際、丸山宮司が祝詞の末尾で「平和を尊ぶ八幡宮の心(萬世泰平)を末長く伝えていくもの」と奏上なされました。「昭和天皇救国の御決断碑」とともに、この「合末社の被弾鳥居」も、東京大空襲を伝える貴重な戦災遺跡として多くの皆様の記憶に留めて頂きたいと願っています。


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浜田嘉一さんの文章は、

入力準備中です














2020年11月5日(木)(憲法千話)

憲法便り#3820:11月4日午後、深川富岡八幡宮の戦災遺跡「鳥居の石柱」を取材してきました!


正面入口から進行方向に沿って、デジカメで撮影した写真を掲載しました。


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←「酉の市」の準備が済んだ正面の風景









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←大関力士碑(昔は横綱の地位が無く、大関が最高位であった。左端は「巨人力士伸長碑 225センチ」









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←富岡八幡宮御本社神輿(日本一の大神輿)の説明

当八幡宮には、江戸時代深川に屋敷のあった紀伊国屋文左衛門より三社託宣に因み八幡造り、神明造り、春日造りの三基三様の神輿が奉納され、みこし深川と云われて参りましたが、大正十二年の関東大震災で惜しくもそのすべてを焼失してしまいました。それ以来、御本社神輿の深川っ子の念願でありましたが、平成の世になり漸く、昔に優るとも劣らない豪華な大神輿が復活致しました。



御本社一の宮神輿

型の名称:屋根延神社型金地塗神輿

輪台幅 :五尺

高  さ:十四尺五寸

重  量:四・五トン 渡御時における推定

屋根の大きさ:最大幅十尺

担ぎ棒 :十本(本体 二本)

ダイヤモンド:鳳凰の目(四カラット二個)

       鳳凰の火焔(七カラット)

       狛犬の目(三カラット二個、一対)

       隅木の目(一カラット二個、四対)

       小鳥の目(一カラット二個、四対)

       

ルビー :鳳凰の鶏冠(二〇一〇個)

屋  根:純金 24kg その他プラチナ、銀、宝石多数使用(ホームページより)


神輿

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←「手水(てみず)」の手前にある、御神輿の写真を撮りましたが、建物のガラス越しだったため、反射した青空や木立が映ってしまい、御神輿が良く見えませんが、屋根の上の鳳凰が映っています。






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本殿に向かう階段の手前、左側にある黄金の「手水(てみず)」









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本殿への階段を上がったすぐ右側に御札所があり、

その角を右に入ると社務所がある。







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本殿








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←社務所の真後ろの位置にある

戦災遺跡「鳥居の石柱」







↓氏子から奉納された、戦災遺跡「鳥居の石柱」の説明

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←戦災遺跡「鳥居の石柱」

左端に、氏子の浜田嘉一さんから奉納された「合末社鳥居」の由来についての説明文








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合末社鳥居

昭和十二年に合末社の鳥居として建立

されました。残念ながら鳥居の上部が

欠落していますが、これは昭和二十年

三月十日の東京大空襲の被災によるも

のです。

この大空襲において富岡八幡宮は御本

殿をはじ大部分を焼失しますが、幸

い七渡神社・合末社・永昌五社稲荷神社

は焼失を免れました。しかし空襲における

焼夷弾は、この付近にも落下し、

その直撃を受けて鳥居上部が崩れ落ち

ました。

二度と起こってはならない戦争の痕跡

を静かに伝えています。


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←戦災遺跡「鳥居の石柱」の右側にかかっている朱塗りの橋。









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←朱塗りの橋手前から見た池の全景。






富岡八幡宮のホームページから、下記の情報を補足しました。

下の空欄になっているところは、グーグルで、富岡八幡宮のホームページを見ると、見事な大神輿の写真が掲載されています。

 通常は午前9時より午後5時まで、月次祭当日は午後9時までご覧になることができます。



通常は午前9時より午後5時まで、月次祭当日は午後8時までご覧になることができます。

 

御本社一の宮神輿 御本社二の宮神輿
平成3年製作年平成9年
第十六代浅子周慶作者第十六代浅子周慶
屋根延金地塗神輿屋根延金地塗神輿
5尺(1m51cm)台輪幅4尺5寸(1m36cm)
9尺5寸(2m89cm)屋根幅7尺5寸(2m27cm)
14尺5寸(4m39cm)高さ10尺8寸(3m27cm)
約 4.5トン重量約 2トン

鳳凰の胸  ダイヤ7カラット
鳳凰の目  ダイヤ4カラット 1対
鳳凰の鶏冠 ルビー2,010個
狛犬の目  ダイヤ3カラット 2対
隅木の目  ダイヤ1カラット 4対
小鳥の目  ダイヤ1カラット 4対
屋根     純金24kg
その他プラチナ、銀、宝石多数使用

装飾鳳凰の目 ダイヤ2.5カラット 1対















































































































































































































































































































































by kenpou-dayori | 2020-12-30 20:59 | 新たな出会い


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