2022年3月21日(月)(憲法千話)
憲法便り#6236:3月17日に逝去した姉の思い出を、疎開していた小名浜の話題を中心にして『天国へ旅立つ純子姉さんへの手紙』と題する追悼文集を作りました。
姉妹兄弟のために追悼文集を作ったのは初めてのことです。
姉はとても筆まめでした。それ故、姉の手紙を含めて構成を考えましたので、姉とわたしの共著ということにしました。
姉は、訪問介護と、訪問診療の方々のおかげで、3月16日午後6時に自宅で息をひき取りました。
いまは介護などの事情で、病院や施設で亡くなる方が多く、自宅で亡くなるのは、難しいことだと聞いていますが、
姉は自宅で甥たちに看取られて静かに旅立ちました。享年83歳。
だが、その夜、東北は3・11を上回る大きな地震に見舞われ、小名浜には津波警報が出されました。
何という偶然の一致!
わたしは、当日予定されていた二時間にわたる検査を病院に断り、すべての作業をやめて、3月17日(木)に『天国へ旅立つ純子姉さんへの手紙』の原稿をまとめ始めました。そして、3月18日(金)午後2時には入稿を終え、4時半に完成品を受取りました。
そのような訳で、この間、『憲法便り』は、何も新しい更新をしていません。
フォローをして下さっている皆さんにお詫びします。
わたしの母は、わたしが10歳の時に42歳で亡くなり、町屋斎場で荼毘に付されましたが、姉はき奇しくも79年後に母と同じ斎場で荼毘に付されました。
わたしたち兄弟姉妹には「42歳以上生きる」という目標がありました。
しかしながら、上の3人は80歳を超えず、長寿ではなかったので、すぐ上の姉は初めて80歳を超えたことになります。
父や兄は70代で亡くなっていますので、わたしが男性として、初めて80代を目指すことになりました。
ただし目標は、「寝たきり」ではなく、健康寿命で80歳を超えることです。
以下に再録するのは、2月23日に姉と交わした最後の会話ですが、その文末で、「これ以降、何回か甥と電話で話をしたが、姉は小康を保っている。」と記しました。
しかし甥たちは、その後一度も会話をすることが出来なかったと言っていました。まさに、文字通り、奇跡的な会話でした。
したがいまして、わたしは『天国へ旅立つ純子姉さんへの手紙』の中に、「奇跡の会話』の中見出しで収録しました。
読み返してみると、欠落している部分があるので、赤字で補足した。
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【再録】
2022年2月27日(日)(憲法千話)
憲法便り#6179:人間の能力で、最後まで機能するのは「聴力」であるということをご存知ですか!
2月23日午前、甥から姉が心肺機能停止の危篤状態に陥ったとの電話連絡を受けた。
昼食後、直ちに家を出て、高田馬場駅から山手線で、駒込に住む姉の自宅に向かった。わたしは女4人、男2人の6人兄弟だが、一番上の姉、二番目の姉、兄はすでにこの世を去っており、下の3人だけが顕在だった。
姉とは、この連絡を受ける数日前にも電話で話をしており、まさに青天の霹靂だった。
姉の家に着くと、日常的に介護している二人の甥と、電話連絡を受けて駆けつけた姪がいた。
わたしは覚悟を決めて姉の部屋に入ったが、訪問診療を受け、点滴による栄養補給と血圧を上げる措置を受けた結果、多少持ち直したとのことであった。
甥たちに、だめもとと思いながらも「お母さんに声をかけてもいいかな!」と聞くと、「お願いします」と答えた。
わたしは、耳元で「純子姉さん、弟の行雄です。お見舞いに来ました。分かりますか?」と問いかけた。
すると驚いたことに「ありがとう」と答えた。
(以下の会話は、姉が目を閉じていて、横になったまま続けたものです。)
続けてわたしが「いい息子たちで、良かったね」と言うと、
「本当に良い息子たちで、感謝してます」と答えた。
これを聞いて、甥たちはびっくりした。話ができるとは思っていなかったからである。
わたしが、姉に「あまり長く話をして疲れるといけないから帰ります。いま何か食べたいものはありますか?」と聞くと、「今はありません」と答えた。さらに「食べられるようになったら、好きなものを買ってきますから楽しみしていて下さい」と言うと、ありがとうございます」と答えた。
そして「ところで純子姉さん、僕の『憲法改悪反対の虹をかける』というきれいなマジック写真を、賢ちゃんと大ちゃんに送ったんだけど見てくれました?」ときくと、「まだ見ていません」と答えた。
「そう、きれいな写真だから、良くなったら、ぜひ見てね」と言うと、姉は「はい」と応えた。
「僕は、いまから、みんなが手をかけないで食べられるものを、(姪)のMちゃんと買い物に行って、そのまま帰ります」と伝えると、「いろいろとありがとうございます。登美子さんに宜しく伝えて下さい」と答えた。
会話は、完璧であった。
これ以降、何回か甥と電話で話をしたが、姉は小康を保っている。