2022年3月31日(木)憲法千話)
憲法便り#6231:平山令二著『ユダヤ人を救ったドイツ人=Die deutschen Judenretter:静かな英雄たち』(鷗出版、2021年9月刊)の「はじめに」の全文と、目次を紹介します。
久々に回り逢った名著です。
新宿区立下落合図書館から借り出すことが出来ましたので、各章ごとにじっくりと読みこんで、12回に分けて紹介する予定です。
第1回は、全体を俯瞰(ふかん)するために、解説抜きで目次の全体、そして「はじめに」の全文を紹介します。
感想を軽々に論ずる訳にはいかないので、わたしが今までに読んだ文献の中から、関連した内容に言及する予定です。
はじめに
第一章 ヴィルム・ホーゼンフェルト大尉
一 「戦場のピアニスト」を救った将校
二 愛国者、ヴィルム・ホーゼンフェルト
三 占領地ポーランドで
四 ソ連での捕虜生活と死
第二章 薔薇通りの女たち
一 「異人種間結婚」のユダヤ人たち
二 工場作戦
三 薔薇通りの収容施設
四 通説への疑問
五 釈放の理由
六 女性たちの勇気
第三章 警察署長ヴィルヘルム・クリュッツフェルト
一 「水晶の夜」とベルリンの新シナゴーグ
二 新シナゴーグの由来
三 警察署長ヴィルヘルム・クリュッツフェルト
四 上司の叱責と退職
五 クリュッツフェルト周辺の協力者
第四章 オットー・ヴァイトの盲人作業場
一 盲人作業場のユダヤ人
二 ユダヤ人の尊厳
三 再三の危機
四 アウシュヴィッツでの救出劇
五 戦後の苦難
第五章 無視された救済者ヘドヴィヒ・ポルシュツ
一 出生の解明
二 ナチス体制下における売春婦の迫害
三 ポルシュツとオットー・ヴァイト
四 ポルシュツが救出したユダヤ人たち
五 強制収容所のユダヤ人への食料品輸送
六 ポルシュツの逮捕と裁判
七 戦後の困窮
第六章 インゲ・ドイチュクローンの手記―オットー・ヴァイトに救われて
一 オットー・ヴァイトの盲人作業場で
二 救済者達との出会い
三 空襲にさらされて
四 救済者の素顔
五 働き口を求めて
六 ベルリン最後の日々
七 生き延びる条件
第七章 救済者としての農民――ユダヤ人女性マルガ・シュピーゲルの場合
一 潜行まで
二 大農場で
三 夫の苦難と娘の病気
四 ユダヤの星と大きな危機
五 決断と解放
第八章 アントン・シュミット軍曹
一 平凡な市民
二 リトアニアにおけるユダヤ人虐殺
三 ヴィルナの敗残兵収容施設
四 黄色の証明書
五 ユダヤ人の他の都市への移送
六 ユダヤ人抵抗組織への支援
七 逮捕と死
第九章 ウイーンのユダヤ人救済者たち
一 一九三八年までのユダヤ人の生活
二 Uボートの統計的分類
三 救済者の動機
四 組織による救済
五 「私のところにいなさい!」――個人による救済活動
六 管理人の役割
七 救済者とUボートの関係
第十章 なぜユダヤ人を救ったのか
一 アルノー・ルスティガーの「序論」
二 ベアーテ・コスマーラの論文「静かな英雄たち」
あとがき
初出一覧
「はじめに」
ホロコースト(ショア)については、日本でも一般に広く知られている。高校までの歴史の授業で取り上げられるので、知らない学生はいないだろう。その証拠を私も体験した。四半世紀前、アウシュヴィッツ強制収容所を訪ねた時、クラクフ駅からタクシーに乗った。おしゃべり好きな中年のポーランド人運転手が、それまでに乗せた日本人の分厚い写真のファイルを見せてくれた。ほとんどが大学生のグループだったが、とりわけ女子学生が多かったのが印象的だった。収容所の正門で運転手の男性をまんなかにしたグループ写真など、学生たちの表情はみな明るい笑顔だった。それらの写真に少し違和感もあったが、それにしても卒業旅行で他に華やかな観光地もヨーロッパには多いのに、アウシュヴィッツをわざわざ訪ねようとする気持ちは評価したくなった。そのような学生が多くいることは思いがけない発見だった。
日本ではホロコーストについてドイツなど諸外国の最先端の研究の紹介も盛んであり、独自の研究も活発である。しかし、まだ陽の当っていない研究分野がある。それは、「ユダヤ人を救ったドイツ人の研究である。この分野の研究は最近翻訳書なども書店で目に付くようになったが、日本ではまだ緒に就いたばかりである。日本ではユダヤ人を救った人物で知られているのは、杉原千畝、オスカー・シンドラーであろう。しかし、その外にも無名のドイツ市民の多くが命をかけてユダヤ人を救済したことはあまり知られていない。本書でも紹介したが、戦時中ベルリンには六〇〇〇人の潜行ユダヤ人がいたと言われる。一人のユダヤ人に七人のユダヤ人救済者がいたとしたら、ベルリンだけで四万人以上のユダヤ人救済者がいたことになる。ドイツ全土、あるいはオーストリアまで含むとドイツ人救済者の数はかなりに上る。アウシュヴィッツで鞭を手にユダヤ人をガス室に追い立てる親衛隊員とはまったく違う人間性にあふれるドイツ人が、同じヒトラー独裁政権のもとにいたのだ。
私が「ユダヤ人を救ったドイツ人」に興味を持ったのは、今からやはり四半世紀近く前になる。最初の頃はまだドイツの研究書も少なかった。勤務する大学の人文科学研究所の紀要に毎年寄稿したのだが、来年には書く材料がなくなるのではと思うこともあった。ところが、私が「ユダヤ人を救ったドイツ人」を調べ始めるのとほぼ同時期に、ドイツ本国において「ユダヤ人を救ったドイツ人」の研究が本格的に進んだのである。ドイツでは一九九〇年代から調査・研究が進み、さまざまなパンフレットや書籍の形で「ユダヤ人を救ったドイツ人」の紹介始まった。また、救済者のドイツ人の典型としてオットー・ヴァイトが取り上げられ、彼がユダヤ人を救ったベルリンの「盲人作業所」が「静かな英雄たち」と呼ばれるユダヤ人救済者のドイツ人たちを顕彰する施設にもなった。そののち二〇〇八年には、独立した「静かな英雄たち記念館」が設立され、展示のみならず、ドイツ人的徹底性で救済者すべてを網羅する調査が進行している。
また、この間、「ユダヤ人を救ったドイツ人」をドイツの市民に広く知ってもらうために劇場映画やテレビ映画が制作されている。『薔薇通り』(二〇〇三年)などの映画が製作されている。日本で二〇一八年に公開された『ヒトラー欺いた黄色い星』(原題は『目に見えぬ人々――私たちは生き抜く』、二〇一七年)という映画は、ベルリンで潜行生活を送った四人のユダヤ人の体験を映画化したものだが、本人たちも証言者として登場している。これは潜行ユダヤ人の立場からの映画だが、当然ながらそこには多くのドイツ人救済者の姿も登場している。
ドイツにおける「ユダヤ人を救ったドイツ人」に対する関心が高まり、研究の広がりと深化のなかで研究を始めることができたのは、とても幸運なことであった。本書が無名のドイツ人の命をかけた救済行為に、日本でも関心が向けられるきっかけになれば幸いである。
【初出一覧】今回の単行本化に際して、表記の統一等、各論文に加筆・訂正を施しました。
第一章 ヴィルム・ホーゼンフェルト大尉
「ユダヤ人を救った人々――ヴィルム・ホーゼンフェルト大尉『人文研紀要』(中央大学人文科学研究所)第五九号、二〇〇七年
第二章 薔薇通りの女たち
「薔薇通りの女性たち――ユダヤ人を救った人々(2)」『人文研紀要』第六二号、二〇〇八年
第三章 警察署長ヴィルヘルム・クリュッツフェルト
「警察署長ヴィルヘルム・クリュッツフェルト――ユダヤ人を救った人々(3)」『人文研紀要』第六九号、二〇一〇年
第四章 オットー・ヴァイトの盲人作業場
「オットー・ヴァイトの盲人作業場――ユダヤ人を救った人々(4)」『人文研紀要』第七一号、二〇一一年
第五章 無視された救済者ヘドヴィヒ・ポルシュツ
「黙殺された救済者ヘドヴィヒ・ポルシュツ――ユダヤ人を救った人々(5)」『人文研紀要』第七四号、二〇一二年
第六章 インゲ・ドイチュクローンの手記―オットー・ヴァイトに救われて
「黄色い星をつけて」――ユダヤ人を救った人々(9)」『人文研紀要』第八三号、二〇一六年
第七章 救済者としての農民――ユダヤ人女性マルガ・シュピーゲルの場合
「救済者としての農民」――ユダヤ人を救った人々(6)」『人文研紀要』第七六号、二〇一三年
第八章 アントン・シュミット軍曹
「アントン・シュミット軍曹」――ユダヤ人を救った人々(7)」『人文研紀要』第七八号、二〇一四年
第九章 ウイーンのユダヤ人救済者たち
「ウイーンの救済者たち」――ユダヤ人を救った人々(13)」『人文研紀要』第95号、二〇二〇年
第十章 なぜユダヤ人を救ったのか
「ユダヤ人をなぜ救ったのか――ユダヤ人を救った人々(8)」『人文研紀要』第80号、二〇一五年