2022年5月3日(火)(憲法千話)
憲法便り#6524:現存が2冊しか確認できていない、秋田県横手市増田町生まれの憲法書『日本国憲法と義解」の成立事情を紹介します!
記事全文の文字起こしをしました。
2011年3月14日付『秋田魁新報』16面を引用しました。
増田町生まれの憲法書
昨年11月、横手市増田町を訪れ、知人の小原征保氏から1冊の本を無償で譲り受けた。これは国立国会図書館憲政資料室への寄贈を前提としたもので、12月中旬に寄贈の手続きを済ませた。同書は、現存確認がこの1冊だけという貴重書なので、万全な保管と広く利用されることを願ってのことである。
書名は『日本国憲法と義解(ぎげ)』(以下、『義解』と略)。表紙には、書名の他に「昭和二十一年十一月三日發布記念 増田町」と印刷されている。価格、出版部数は記されていないが、1948年(昭和23年)8月1日現在の旧増田町の人口9712人を参考に、町内の全所帯に無料配布したとして、1千~2千部刊行という推定は可能であろう。
『義解』は「はじがき」と「あとがき」もなく、目次1ページと本文45ページという構成の小冊子だが、新憲法の解説としては高い水準にある。日本国憲法前文および前文への【解】、すなわち解説に始まり、以下、条文ごとに【解】を付した逐条説明である。『義解』という言葉と逐条説明の形式は、伊藤博文が大日本帝国憲法(明治憲法)と皇室典範の逐条説明を著した『憲法義解』を模している。著者名はない。
1946年11月3日の日本国憲法公布以後、全国の出版社や新聞社、大学のほか、北海道社会教育協会、千葉県教育会、岡山県東京事務所などの地方自治体関係組織が刊行した例はあるが、市長村レベルの刊行となると、私が確認しているのは全国でも増田町だけである。当時は紙不足から新聞各社が2ページ建ての発行を続けていた時代であり、小冊子とはいえ紙を確保するのも困難だったであろう。『義解』との出会いは、私が「九条の会・ゆざわ」に招かれ、湯沢市で「憲法第九条はどのように誕生したか」と題して講演をした2006年5月14日にさかのぼる。講演終了後、小原氏が声をかけてきて、『義解』を見せてくれたのである。彼はこの本を、かつて増田町長を務めた父・慶次氏(故人)から受け継いだとのこと。
私は2014年以来、全国各地と韓国5都市で計131回、前述のテーマで憲法講演を行い、秋田県内でも7回講演しているが、このような貴重書を目の当たりにしたのは、湯沢市の時だけである。
最初は『義解』を、新憲法公布当時の啓蒙のための出版の一事例とだけ考えていた。しかし、現物を手にしてみると、予想もしなかったさまざまなことが分かってきた。それらのほとんどは『義解』の著者を特定する作業に付随して判明したことである。
まず『義解』の文章は、説明の内容と詳しさなどから、増田町が依頼した人物が、第90回帝国議会の憲法改正論議で憲法担当大臣として活躍した金森徳次郎の文章を参考にして編集したものと推定した。だが、帝国議会の議事録を調べても、金森の答弁には『義解』のような、全条文に対する逐条的な説明は見当たらなかった。
次に、国立国会図書館で、1945年~1947年に全国で刊行された解説書のうち何点かを調べた。すくには手掛かりを得られなかったが、最後に手にした新興之日本社編『改正憲法讀本』(1946年11月17日)が疑問を解消した。
同書は「はしがき」と、金森が執筆した「改正憲法の特質」「新憲法と義解」「憲法改正の経過」から成る。驚いたことに「新憲法と義解」の部分は組版こそ異なっているが、構成と文章は同一であった。これで『義解』の著者は金森であることが特定できたが、「東京にある新興之日本社が、増田町に金森の原稿を仲介したのではないか」という新たな疑問が生じた。同社の社長名は長澤均。この姓は、横手市平鹿町に多い。彼が横手周辺の出身ならば、その可能性はある。
だが、この疑問は、兵庫県警察部警務課発行『日本國憲法の解説』(1946年11月3日)という本の調査から期せずして解決する。同書は、ポツダム宣言全文、憲法改正に関する勅語、吉田茂首相の帝国議会への提案理由説明のほか、金森による「改正憲法の特質」と日本国憲法逐条説明、日本国憲法正文から成る。「改正憲法の特質」は、冒頭の加筆以外は、新興之日本社編『改正憲法讀本』と同一である。逐条説明は『義解』と同一だが、条文ごとに「参考」として、議員名とともに帝国議会での質疑応答の要点が記されている。
金森による同文の新憲法解説書をもう1種類確認できたことで、『義解』も、増田町が新興之日本社の仲介を受けたというよりは、金森に直接原稿を依頼し、金森が求めに応じたと考える方が妥当な判断であろう。自ら憲法の“産婆役”と称する金森は、149年に国立国会図書館に就任した後も、各地の講演や新聞・雑誌への随筆寄稿を盛んに行っている。
『義解』の刊行の経緯には印刷所など不明な点も残るが、新憲法に対する当時の国民の関心の高さや、憲法の普及の歴史を知ることができる実例として極めて興味深い。
なお、確認出来た『義解』は1冊だけだが、兵庫県警察部警務課発行『日本國憲法の解説』も京大大学院文学研究科の1冊だけである。いま、これらのほかにも貴重な資料の発掘を続けている。