2022年5月10日(日)(憲法千話)
憲法便り#6539:ロシア語にある、トマトを意味する二つの言葉トマトとパミドールについて;そしてウクライナのボルシチと、ロシアのボルシチについて紹介します!(赤字の部分を加筆しました)
リストランテ文流No.32(1984.11.10)を引用しました。
(この文章の冒頭で、ロシアの酒について書いたが、この部分は『憲法便り#6539』で紹介)。
文流の天才的なシェフ・吉田勝昭氏(故人)が著した『地中海料理』の中にpeperonata(ぺぺろなーた=野菜のトマト煮)がある。これがなんとなくボルシチに似ているので、その因果関係を調べてみた。すると、これが当たらずとも遠からずで、つぎのような状況証拠が明らかとなった。
ロシアにはトマトを言い表す単語がふたつある。トマトとパミドールである。トマトは衆知のごとくポルトガルを経由した原語であるが、パミドール(pomidor)はイタリア語のpomodoroが少し変化して定着して定着したものである。16世紀初頭にアメリカ大陸からヨーロッパに持ち込まれた野生のトマトが黄色だったことから、イタリアでは「黄金のリンゴ」(pomo duoro)と名付けられ、品種改良が続けられて現在わたしたちの食卓にのぼる赤いトマトが出来るようになるが、ロシアにトマトのことが伝えられたのは、『ソビエト大百科辞典・第三版』によれば1780年のことである。ちなみに、これはモスクワに当時ペトロフスキー劇場と呼ばれたボリショイ劇場が完成した年である。トマトを伝えたのがイタリア人であるかどうかについては触れていないが、パミドールという言葉からその推察は一応可能であろう。『グラナート百科事典』では、トマトがロシアで栽培されるようになったのは、ようやく
19世紀も半ばを過ぎてからで、それが南から北へ広がり、1920年代に北辺のムルマンスク地方でもされるようになったことを記している。現在ではもちろん主要な野菜のひとつとして全国各地で栽培されている。(中略)
ここで「ボルシチ」の話にうつろう。ボルシチは今やロシア料理の代名詞のようになっているが、もともとはウクライナの料理であり、それが広くロシアでも食されるようになり、今日に至ったものである。
それではボルシチが広まるまでのロシアでは何を食べていたか?
それまでは「シチー」と呼ばれるキャベツ・スープを食べていたという。
モスクワで出版された『家政百科事典』によれば、ボルシチには「ブリオーン」と呼ばれるスープを作る時の材料の違いや調理法によっていくつかの種類がある。肉のブリオーンによる「ウクライナ風」、ハム・ベーコンなどのブリオーンによる「モスクワ風」、肉を入れない野菜のボルシチ、きのこのブリオーンと干し杏(あんず)を使ったボルシチ、氷でひやす冷たいボルシチなど。調理の際にトマト・ピューレまたは生のトマトのどちらかを使うが、その両方を使う場合もある。(平凡社の百科辞典では、一般的にビートだけで仕上げるように紹介されている)
以上の話は、イタリアとロシアの文化交流の一、二のエピソードに過ぎないが、1981年にモスクワで出版された『外来語辞典』第八版)を見ると、私が実際に数えたところでは、19000項目のうち、イタリア語からの語彙は415項目。これは、全体の三分の二を占めるギリシャ語およびラテン語を別格とすれば、フランス語(約2150)、英語(約850)、ドイツ語(約750)に次ぐものであり、永い交流の歴史を反映している。内容を具体的に述べると、音楽、美術、建築、舞台芸術、商業、軍事、医学、自然科学など様々な分野にわたっている。
その中から食文化に多少ともかかわりのある単語を拾い出してみると、ブロッコリ、ブラート(篩=ふるい))、マカローヌイ、パースタ、オステリーヤ(飲食店、旅館)、タヴェールナ(居酒屋)、トールト(タルト)、サルディーナ(いわし)などがある。
赤いトマトのことでは、その健康効果について、イタリアには次の話がある。
「トマトが赤くなると、医者が青くなる」
(お後がよろしいようで)