憲法便り#6583:かもがわ出版の名著、内藤功著『憲法九条裁判闘争史ーその意味をとう捉え、どう活かすか』の「はじめに」の全文を紹介します!名著誕生秘話ともいうべき優れたドキュメンタリーです!
はじめに なぜ内藤弁護士にお話しを伺ったのか
川口創
砂川事件、恵庭事件、長沼事件、百里基地訴訟。いずれも憲法9条を「武器」たたかわれた歴史的な裁判として知られています。この4つの裁判に弁護人・代理人としてかかわった弁護士が、この本のスピーカーである内藤功弁護士である。
私が内藤功弁護士に初めてお目にかかったのは、2004年8月、札幌で開かれた「第一回イラク派兵差止訴訟全国弁護団連絡会議」でのことでした。
前年の2003年にアメリカ・ブッシュ政権によるイラク戦争が始まり、日本の小泉政権は自衛隊のイラク派兵を強行しました。これに対して、2004年1月、箕輪登元郵政大臣が、「イラク派兵は憲法違反」との裁判を札幌地裁で起こし、2月には名古屋で1000人規模の市民の集団訴訟が始まり、その後、東京、大阪へと全国各地で裁判が広がっていきました。しかし、憲法9条違反を求める裁判は、ただちに困難に直面し、全国の弁護団で協力しあい、知恵を出し合う必要に迫られました。そこで、2004年8月10日、札幌に全国の弁護士が一堂に初めて集まり、「第一回イラク派兵差止訴訟全国弁護団連絡会議」が開かれたわけです。
私はそこに名古屋弁護団の弁護団事務局長として参加しました。今回の対談相手の中谷弁護士も、名古屋弁護団として参加しています。
それまで、自衛隊の海外派兵の違憲性を問う裁判は全て、「平和的生存権は具体的権利ではない」と、憲法判断に入る前の「門前払い」の形で敗訴していました。ですから、会議では自ずとその点をどう突破していくか、ということが議論の中心となっていました。しかし平和的生存権の具体的権利性を中傷的に議論したところで、深みにはまっていくだけで、展望が見えない、そんな重苦しい雰囲気が漂っていきました。
そんな時、それまでじっと話を聞いていた初老の男性が、手を挙げ、発言をし始めました。それが内藤功弁護士でした。内藤弁護士は、穏やかに、落ち着いた口調でつぎのように話されました。
「法廷で全力で闘うのは当然です。裁判官から、この人達は政治的なパフォーマンスで裁判を起こしたんだと思われてはいけません。
しかし、判決の勝ち負けのみにとらわれるのは良くありません。判決で勝とうと思うな、運動で勝て。目的は、イラクから自衛隊を撤退させることです。自衛隊のイラクからの撤退に向けて、法廷の内外で何をすべきか、何が出来るか、常に考えて訴訟を進めることが必要です」
「裁判は、100点か0点か、ではありません。たとえ違憲判決が勝ち取れなかったとしても、70点、50点という評価は出来る。100点を取れなかったら、0点だ、ということではないのです」
そして「平和的生存権の論議も大事ですが、裁判では何より事実に基づく主張が大事です。イラク派兵の実態を徹底的に明らかにしていくことが大事だと思います」。このような趣旨の話も、このときにされたと思います。
この内藤弁護士の話のあと会場の雰囲気がはっきりかわったのを覚えています。皆の肩の余分な力が抜け、悲壮感が消えていきました。そして、同時に、諦めずに前を向いて共に頑張っていこうという情熱が、皆の心の中にその時灯ったような感じがしました。
今思えば、内藤弁護士のその時の話は、その時から何年にもわたる裁判闘争の全体を見据えた、大局的な助言であり、闘いの道筋を示していただいたのだと思います。「すごい人がいるもんだ」というのが、率直な印象でした。
私は、当時弁護士2年目の若輩者で、大変失礼ながら、それまで「内藤功弁護士」という名前も、存知上げませんでした。また、1990年代に学生生活を私にとって、砂川、恵庭、長沼、百里基地訴訟なども、憲法を勉強する過程で知る程度の認識しかありませんでした。砂川事件伊達判決は1958年のことですから、「あの弁護士は砂川事件を闘った弁護士だよ」と聞いて、その歴史的裁判に関わった弁護士が目の前にいること自体が不思議な気がしたことも覚えています。
私は、それまで、イラク訴訟を提訴した弁護団の一員でありながら、「自衛隊の海外派兵が問題となっているイラク訴訟と、砂川、恵庭、長沼、百里とは、全く異なるもの」と思い込んでいました。ですから、砂川、恵庭、長沼、百里から学ぼう、という気持ちはそれまでは全くありませんでした。
しかし、内藤弁護士の札幌での話を聞き、しかも、砂川、恵庭、長沼、百里を闘った弁護士と知り、「この大局的なアドバイスが出きる、その源は、砂川から闘い抜いてきたその経験がなせる技だ」ということを直感的に感じました。そして、「本気で勝負していくためには、内藤弁護士から闘いの経験を承継しなければならない」と思ったのです。
その後、内藤弁護士には、年に何度か開いた全国弁護団連絡会議に参加いただき、その都度ご助言いただきました。内藤弁護士は、個別の弁護団には加わらず、法廷には参加されていなかったのですが、今思い返しても、全国弁護団の会議では、法廷に立ち会っていないのに、どの法廷の状況も的確に把握したうえで、闘うヒントを示してくれていたように思います。
名古屋訴訟は、地裁での一審の後半の1年間、裁判所と正面から闘う時期を経験したのですが、その時、普通の弁護団から、「闘う弁護団」への脱皮を指導してくれたのも、内藤弁護士でした。そして、名古屋訴訟一審は完膚無きまでに敗訴し、控訴するわけですが、その時も内藤弁護士は、「名古屋は頑張っている」と暖かく励ましてくれました。
名古屋の裁判は、弁護団、原告団が一審を通じて何段階か脱皮をしたこともあり、名古屋高裁では充実した法廷が作られていきました。そして、2008年4月17日、名古屋高裁で、「イラクでの航空自衛隊の活動は憲法9条1項違反だ」とする違憲判決を勝ち取ることができたのです。そして、2008年末に、イラクからの自衛隊の完全撤退が果されました。
当たり前のことですが、この名古屋高裁の違憲判決は、名古屋の原告、弁護団だけで勝ち取ったものではありません。全国の弁護団、原告、支援者、そして、全国の平和を願う多くの市民の力で勝ち取ったものです。その意味で、横への広汎なつながりが、違憲判決を生み出したのだと思います。
同時に、内藤弁護士を通して、砂川、恵庭、長沼、百里の闘いの「構え」を受け継いだ結果が、2008年の違憲判決につながったのではないかと思います。平和憲法の闘いを、横へ横へとリレーしてゆくことが、平和憲法を活かしてゆくために大事なのだと痛感しました。そして、たとえ、これまで闘ったことのない難問に直面したときも、先人の様々な知恵と経験から学び取り、活かしてゆこことで、困難を乗り越えてゆく。
これが、今回のイラク訴訟で、私が学んだことです。
憲法9条を巡る闘いは、今後も続いていくことでしょう。かならず、「次」の闘いがある。その時、私達が内藤弁護士から学んだことを次に活かしていく必要がある、そう思います。
そこで、内藤弁護士から、砂川、恵庭、長沼、百里、そしてイラク訴訟までの闘いの経験を伺い、形にしていきたいと思い、今回の「対談」を思いついた次第です。私一人では、「対談」相手として能力不足だと思い、名古屋弁護団の理論的な支柱であった中谷弁護士にも声をかけ、2人で内藤弁護士から話を伺う、ということになりました。
当初は、一度合宿をして、2日間くらいで伺う内容を形にしようとかんがえたのですが、話が盛り上がり、結果的に2回の合宿と、2回の「座談会」の合計4回を行うことになりました。内藤弁護士からは、それぞれの闘いの苦悩や高揚感が伝わってきて、毎回興奮しながら聞きました。本当に贅沢な時間を過ごさせていただいたと思います。
ちまたに、「回顧録」が溢れています。人の自慢話ばかりを聞くのは、はっきり言って苦痛です。しかし、内藤弁護士の話は、常に、その経験を、今、そして将来どう活かすか、という観点を意識して下さるので、単なる「回顧録」では決してありません。むしろ新鮮な思いを持って読むことが出来、自分たちの闘いに活かすことが出来るはずです。
しかも、対談の前に、私の方から、「今回伺いたい柱はこうです」とメモを送らせていただいたりしたのですが、対談の際には項目毎にしっかりと話される内容をご準備された詳細な手控えをお持ちになってお話しいただいていました。もちろん、雑談じみたところもありますが、そういったところも含めてすべて、伝えるべきことを明確に意識をされ、話す内容を精査しながら、正確にお話しを頂きました。明晰な頭脳と、謙虚なお人柄、そして、何よりもご自身の経験・知見を次に活かそうという意識を持っていただいていることに、ただ頭が下がるばかりです。
2012年9月の時点で、憲法を巡る情勢は極めて危険な状況にあります。改憲論が声高に叫ばれ、集団的自衛権行使を容認する「政治家」の影響力が一気に高まっています。中国や韓国との領土問題についても、外交努力を怠り、安易に軍事力を容認するような危険な風潮が高まっています。
2012年8月に出された「アーミテージレポート」では、アメリカが日本の自衛隊に対して、世界で米軍と共に戦争できる軍隊になるよう、強く求めています。日米軍事同盟は今後ますます深化し、近い将来憲法9条の改憲が具体的な政治日程に上がってくる可能性がとても高いと思います。
平和憲法を守り活かそうとすれば、私達は、市民として、法律家として、覚悟を決めて憲法を守り活かす闘いに身を投ずる必要があるでしょう。その時、新たな深刻な局面だからこそ、戦後の平和憲法を活かそうとしてきた闘いから学ぶことが大事になってくるのではないでしょうか。
その闘いの中で、困難に直面したときにヒントになるような一文が、この本にはきっと書かれていると思います。この本は、憲法を武器に闘う市民、弁護士にとって、バイブルになるものだと思います。是非、多くの法律家、市民の皆さんに、この本を手にとって頂き、平和訴訟のバトンを受け継ぐ走者になっていただきたい。
心からそう思います。