2022年12月22日(木)(憲法千話)
憲法便り#6830:守山義雄文集より「ベルリン特派員時代」【連載第30回】「ナチスと宗教」(昭和十五年五月二十五日発:ベルリンにて)
「世界から驚異の眼をもって注目された独ソ接近は、見方を変へれば既成宗教を否定する二つの新しい国家の結合であった。そこにこんどの欧州戦争の持つ意義について一つの新しい視野が開かれてくる。そしてそれはこんどの大戦と欧州文化の将来を論ずる時、切離すことのできない大きな問題を提供してゐる。
欧州のキリスト教的資本主義文明にまづ革命の烽火を揚げたのがレーニンの共産主義であった。ついで同じ線に沿って立上がったのがヒットラー総統のナチズムである。この二つのイズムは最初たがひに政治的理由から相反目したが、いま同じ政治的理由から手を握るにいたった。手を握って彼らはたがひに驚きあってゐる。物質的には利害の相通ずる善隣であり、精神的にはその根本において共同の目標を持つ友邦たることを発見したからである。独ソの共同目標たるキリスト教文化の否定――こゝにこんどの大戦勃発とともに規制文化は深刻な危機に立ってゐるといへる。或はそれはもっと大きな世界的意味を持ってゐるかも知れない。
こゝでナチスの精神文化政策に一瞥を与へることは興味深い。この課題は日本では比較的閑却視されてゐるが、一言にしていへば「ゲルマンの昔に還る運動」であり、言葉を換えていへば、それは「キリスト教の否定」である。ユダヤ人が過去において社会機構を毒した如くに、キリスト教が人心を麻痺させ怠惰に陥らしめた。第一にキリストはユダヤ人である。十字架の害毒はユダヤ人の害毒とゝもにドイツ第三帝國の若い生命を蝕むものなりとするのがナチスのキリスト教に対する態度である。そしてナチスの政権獲得とゝもに教会および信者に対する強圧がはじまった。ここにその歴史を説く余白はないが、とにかくドイツにおけるキリスト教の現状を見るに多数の牧師が失業して(自動車道路工事の人夫として働いてゐる牧師が多い)教会は空虚の建物と化し、ナチスから見放された老人が絶望的な祈りの声を響かせてゐるに過ぎない。しかし一応の知識人であるドイツ人は『自分は無宗教である』と告白することを恥辱とする。特にナチスの教育をうけた若い青年たちは『われわれは宗教の代りに新しい信仰を持ってゐる』と叫ぶ。この新しい信仰といふのがいはゆる「ドイッチェ・グラウベ」と呼ばれるナチスの精神運動である。
党の世界観教育部長であるローゼンベルグ氏の指導するこの運動はSS(親衛隊)の隊員を中心とする三十歳以下のドイツ青年層をいま完全に風靡しつゝあるといってよい。この運動ではキリスト教の聖書の位置に純ゲルマンの伝説や神話を集めた古典「エダ」が置換へられてゐる。ナチスの政治指導のバイブルは、ヒットラー総統の「マイン・カンプ」であるが、ナチス精神指導のバイブルはこの「エダ」といふわけ。しかしこれは新しい信念に対して一応形式上の基礎を与へたに過ぎない。万事にラショナリスム(合理主義)をもって民族の優れたる本質とするドイツ人に古い神話を引張り出してにはかにこれを信ぜよといっても無理であらう。それよりもこの新しい運動の本質がたゞ理論的に赤裸々な形をとってゐることに注目しなければならない。
天を信ずるよりも「自らの力」を信ぜよ、神に祈るよりも現実の人生から民族発展の力を探るべし、われわれにとって祈ることは不要である。ラテン語で怪しげな祈禱を教会で捧げるよりも、一発の弾丸でも作った方がどれだけ国家の発展に寄与するか知れないといふのである。海の水が二つに割れたり処女が懐妊したり手を触れゝば病気が治ったり、バイブルが教へるかゝる荒唐無稽な奇蹟を信ずるものは大馬鹿者である。病気を治すにはその病原を究め、治療方法を研究し、薬品と技術の力、すなはち科学の力をもってのみこれを治療するのだとなすのがナチスの方式である。
これは唯理主義のドイツの青年たちの好みに投じた。加ふるにヒットラー総統の過去における輝かしい外交の成功あり、彼らは宗教の力よりも大砲の威力により大きな信仰を抱くにいたったのだ。事実ヒットラー総統をはじめナチスの党員、SS,SA(突撃隊)の青年層のほとんどすべてがいづれも教会を脱会してゐる。
かくして戦争が始まった。従来の欧州の戦争には宗教的の興奮が付物であった。こんどの戦争ではそのやうな風景は見られない。前大戦当時にはベルリンの市民たちも各教会に集まり、或は号泣し、或は叫び、戦勝を祈り平和を願ふ祈禱の声が壮麗な色ガラスのドームに氾濫したものだが、いまはそんな場面は薬にしたくも見られない。たゞナチスにいはせると、キリスト教の美点であったといふ社会事業のみが冬季救済事業としてナチスの組織の中に継承され、寄付金集めの赤いブリキ罐の音が街角でガラガラ鳴ってゐるのみである。
海の彼方ロンドンでは、イギリス皇帝出御のもとにウエストミンスターの大寺院で戦勝大祈禱が催されてゐるのと、面白い対照をなしてゐる。血気盛んなナチスの青年たちは『祈って戦争に勝てるなら軍艦も飛行機も要らぬじゃないか』と嘯いてゐる。」
*次回は、【連載第31回】「西部戦線第二回従軍」(昭和十五年六月十三日発:アーヘンにて「西部戦線第二回従軍第一報」)