岩田行雄の著作一覧を公開します!
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1976年7月ナウカ労働組合刊『交差点 4号』への寄稿:『ブイローエ(過去)
について』(岩田注:同誌はロシアにおける革命運動史をテーマに1900年~1926年年に出版された雑誌で、思想的にはひとつの流れの上にのっているが、書誌学的には二つに大別されるものであり、出版の経過は当時の革命運動の状況を反映したかなり複雑なものになっている。
ブイローエ海外版第一期(ロンドン)
ブイローエ国内版第一期 1906年1月にペテルブルグで刊行開始。
ブイローエ海外版第二期(パリ)
ブイローエ国内版第二期 1917年7月ペテログラードにおいて復刊された。
ブイローエ新シリーズ(パリ)
1994年11月刊 早稲田大学図書館紀要第40号への寄稿:『ロシアにおける書籍印刷(第1回)-その始まりから16世紀末まで』
1994年11月刊 早稲田大学図書館紀要第40号への寄稿:『ロシアにおける書籍印刷(第1回)-その始まりから16世紀末まで』
1995年3月刊 早稲田大学図書館紀要第41号への寄稿:『ロシアにおける書籍印刷(第2回)-17世紀ロシアの書籍印刷と流通』
1995年4月刊 株式会社文流編『南欧文化』第16号への寄稿:【翻訳と解説】『ヴェネツイア人が見た15世紀のロシア』
1996年8月刊 早稲田大学図書館紀要第43号への寄稿:『ロシアにおける書籍印刷(第3回)第5章 16-17世紀リトワおよびベラルーシにおける書籍印刷』
1999年3月刊 早稲田大学図書館紀要第46号への寄稿:『ロシアにおける書籍印刷(第4回)第6章 16-17世紀ウクライナにおけるキリル文字による書籍印刷』
1998年9月刊 『ユーラシア研究』第19号への寄稿:『蔵書に見るヤコブ・ブリュース―あるピョートル大帝側近の実像』
1980年6月刊 出版労連結成20周年記念イタリア・フランスの出版・労働事情―調査報告 日本出版労働組合連合会 1979.6.10~6.24ミラノのフェルトリネッリ研究所訪問(6月15日(金)10:30~12.00)の記録:報告の3項目;日本のみやげに(気難しい表情の)デル・ボー所長もにっこり;洲・自治体からの援助で財団に;マルクス直筆などの手紙などを所蔵
1982年7月歴史科学協議会編『歴史評論 No.387』への寄稿:読書ノート『イタリア共産党中央委員会教育部編『グラムシ入門』を読む
1982年10月汐文社刊「唯物論研究協会」編集 特集『転換の時代』への寄稿:雑録ノート;ロシア語版『日本イデオロギー論』(戸坂潤著)の刊行によせて
1983年9月刊 株式会社文流編『南欧文化第9号・特集アントニオ・グラムシ研究特集』への寄稿:『レーニンとグラムシの会見―1922年10月25日午後6時』
1987年5月刊 日本索引家協会/編集・発行『書誌索引展望』Vol.11No.2への寄稿:書評〈Pointsat Issie; A Bookseller Looks at Bibliography by Anthony Rota.〉
1987年9月刊 ロシア史研究会発行『ロシア史研究 No45』への寄稿:スターリン全集第16巻「試作本」について.
1988年1月刊 出版労連小売洋販共闘15年史刊行委員会編『出版労連小売洋販共闘15年史(1973-1987)―ひとつの組合のように』―「刊行のあいさつ」―『15年史』刊行委員会責任者・岩田行雄
1988年12月刊 『国労の旗のもとに』刊行委員会の編集委員責任者として「編集後記」
1996年刊 『アルク地球人ムック』への寄稿:『イタリアワインの楽しみ;ワイン①探しは恋人探し;②価格の目安;③ちょっと詳しくなろう;④ラベル読み方とワインの格付け;⑤イタリアでの経験』
1998年9月刊 岩田行雄著『土曜の午後に』
2000年3月16日刊 友人である堀江亜子(つぎこ)さんが編集した『さくら会 句集 卷一』に、『昼の月』と題して次の十句を寄稿しました。
この乱世 入道雲も こぶし上げ
日照り雨 狐の嫁を 探しけり
絹雲の 羽衣に似て 秋の空
夕立や 虹まちかねつ 空見上げ
彼岸花 五十路を超えむ 母逝きて
柿の実の 日毎色濃き 山の里
小春日や 位牌の父母と 行く遍路
稲穂刈る 農婦の上に 昼の月
秋枯れて 柿の実ひとつ 残り居り
落ち葉掃き 無情の風が また散らし
2000年3月31日刊 一橋大学社会科学古典資料センター『StudySeries No.43』への寄稿:『「ピョートル大帝蔵書」とロシアの書籍文化』
2000年10月ロシア史研究会刊『ロシア史研究』第67号への寄稿:一五八一刊『オストローク聖書』出版の経緯と天理図書館所蔵本について』
2001年2月23日に新宿区立戸塚第二小学校6年1組で行った「書籍文化史」・ゲスト授業の要点
2001年2月20日刊(紗織の誕生日に)『ネヴァー・ギブアップ』:第一部「八人のツッパリへ」;第二部「未来の先生へ」;「若き芸術家へ」;第四部「未来を担う君たちへ」
2001年3月刊 専修大学人文科学年報第31号への寄稿:『フランス革命とロシア』
2001年10月刊 愛知県立大学「おろしゃ(ロシア)」会報第7号への寄稿:『「イワン雷帝蔵書」発見?』
2002年2月刊 同人誌『ひろば』刊「No190」への寄稿:『アメリカの友への手紙』
2002年3月刊 来日ロシア人研究会編『日露交流文集』への寄稿:『エマヌイル・シュテインの亡命ロシア人コレクションについて』
2003年8月刊 岩田行雄編・著『牛肉偽装事件の真相とその後―雪印の社会的責任を問う』
2003年10月刊 岩田行雄著『愛のあいさつ』(増補・改訂第二版)
2004年3月 早稲田大学出版部刊 鈴木健夫編「早稲田大学現代政治経済研究所研究叢書19」『ロシアとへヨーロッパ・交差する歴史世界』への寄稿:『ロシアの法典編纂事業とバルギヤンスキー;ウイーン大学出身法学者が果した役割』
2005年4月刊 国労池袋地区提訴団支援「国労を勝たせる会」活動の記録(1988年6月―2005年4月)国労を勝たせる会・会長としての挨拶文『長い間ご協力ありがとうございました』
2005年5月刊 中島通善 版木画集『日本の面影・粋』に掲載された詩『おんぶ』
―版木画家中島通善さんと、泣き母に捧げる詩―
銀座の画廊で見つけた
なつかしい『おんぶ』の絵
私が幼い頃
母はいつも妹をおんぶしていた
入学式の付き添いの時も
綿入れで妹をおんぶしていた
妹が入学をする前の年
母は四十一で世を去った
思い出がよみがえった
美しい『おんぶ』の絵
還暦を迎える妹に
母のおもかげを贈った
(岩田注:中島通善さんは、当初、この版木画集の表紙のデザインを、日本間に飾られた昔懐かしい茶系の「衣紋掛け」を予定していた。しかし、『おんぶ』の絵を購入したお礼として、中島通善さんかた都立大学駅のすぐ近くにあるフグ料理店に招かれた際にこの詩を贈ったところ、かれは予定を変えて、表紙を『おんぶ』の絵に変更したといういきさつがある。)
2005年8月刊 週刊金曜日No.568号「わたしと憲法シリーズ」⑫への寄稿:『岩田行雄・1万冊が売れている自費出版「検証・憲法第九条の誕生」の編著者―改悪を許せば元には戻せない』
2005年11月 東京外国語大学スラブ系文化研究会編『SLAVONIC STUDIESСЛАВИАНА』20号への寄稿:『読書と“書籍収集”に見るエカテリーナ2世』
20006年に実施した「岩田ゼミ」の概略について
このゼミを始めるきっかけは、私の住まいの近くで「貸しビデオ」店を営んでいた、K氏の提案による。下記の条件も彼の提案に基づいている。
ゼミ参加者の条件は、韓国で日本語を学んできた大学院生。
日本語の「いろは」を教えることは目的とせず、自分のテーマを決めて、深めてもらうことを目的とした。
基本的に、月2回で、前半で見学、後半でその感想をまとめ各自のレポートに対して、感想を出し合った。
第一回は、当時行き付のイタリアレストランで、食事をしながら、学びたいテーマを出してもらった。参加する学生たちに負担をかけないために、私がご馳走することにした。食事代に関しては、最終回までその方針を貫いた。
第二回目以降の見学会は、次の通り。
見学①:早稲田大学大アジア太平洋研究所大学院教授・柳孝一先生〔アントレ・プルヌール(起業)研究の第一人者)の研究室で、前半は先生のお話しを約一時間、後半は先生への質問と答え。