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岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞

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2013年 09月 05日 ( 3 )


2013年 09月 05日

憲法便り#270 昭和20年9月5日 『朝日新聞』社説「平和国家」(全文)

この社説は、マスコミの皆さんにも、読んでいただきたい文章です。
後になって、「あの時、こうしていれば良かった」と悔やむより、いまが大切です。
いま、日本の政治は戦前の「いつか来た道」を目指して、まっしぐらに逆走しています。
日本は、過ちを繰り返してはならないと思います。
天皇の言葉にすべてを求めるたわ言のような部分もありますが、とにかく、最初から最後までお読みください。
最後の方に、「心ある国民はそもそも一部官辺のナチスかぶれの思想が今日の禍を齎したことを痛感している」という言葉も書かれています。
私が戦争を体験したのは、二歳の時でしたから、あの戦争に責任はありません。
でも、「同盟軍への支援」、「集団的自衛権」なるものを口実に現在進行している戦争への道を許してしまったならば、力不足だった私にも責任があると考えています。
後で、「力不足だった」と慨嘆するよりも、いま力を尽したいと思います。

判読が困難な個所は、□□で記しておきます。旧漢字、旧仮名遣いも改めてあります。

社説「平和国家」
「連合軍進駐のめまぐるしい速度並にポツダム条項履行のための急速なる準備―内閣及び各省当局はいまこれに忙殺されている。もちろん具体的措置は、連合軍司令官の命令を待ち、これに即応して行なわれるのであるが、そのための心の用意と実務上の仕度は着々なられなければならないからである。あの惨憺たる終戦前後の混沌から、突如急転、降伏に立ち至った情勢下に出発した現内閣としては、いま□にこれ以上の能率を発揮することは頗る至難といわなければならぬ。厩舎、電報、電話から甚だしきは乗用車そのた交換手段さえ意に任せぬこともこの際思い合せられなければなるまい。
 しかしながら、現内閣が心の奥底から深く思索し、堅く決意せるところのものは、総理の宮の談話にもあったように、日本の再生、再誕生にほかならぬ。現在のところ、日々の緊急要務に忙殺されざるをえないため、また言葉以上のものになっていないかも知れない。具体的事実というにはさらに一層遠い距離があるであろう。だが、いま日本に進行しつつあるものは、恐らく空前の大変革なのである。強風によって急旋回したカードの表に裏が代ったほどの急変化である。この大激変を日本人自身すら明確にはまだ□っていないかも知れない。一般的には暗中に模索しているといえるかも知れぬ。しかし、具眼の士はすでに明確に意識している。いな大衆も模索の境にあるとはいえ、無意識の裡に、漸次厳粛なる結論に到達しつつあると思う。
 然らば、いったい、こうした突□はどこから来たのか。それは東洋の秘密であり、日本の神秘に属する。端的にいおう。八月十五日正午の天□からである。天□なるが故に真実を指さされ給うた。事実を自ら偽るものはもはや許されない。無用の虚勢も、自己本位の欺瞞ももはや存在し得なくなった。それは民心深く浸透したものの力である。世界平和をつねに御□念遊ばされ万民赤子を道具としてでなく、大御□として慈み給う大御心が□□の如く全国民の良心をうったのである。そこには、もはや君民を隔てる何物もすでに力を失っていた。あらゆる謀略ももはや効を奏しなかった。遠く余りにも遠くゐまして、知るによしなかりし大御心が玉音とともに国民の迷夢を覚醒せしめられたのである。思うに戦争はすでに完全に負けていたのだ。知らされさえすれば理解の早い日本人も、知らされざるが故に完敗とは思っていなかったのだ。卒然として迷妄が霧消し去った。科学において破れた。出兵においても破れた。政治においても破れた。経済政策においてはなおさらだ。よく諒解し得なかった支那事変のつづきの戦争としての危惧の念も強かった。単に物量と原子爆弾だけに敗北を喫したのではなかった。
すべてにで敗れた日本は、また再び戦争を考える愚かものではない。精神に生きよう。文化に生きよう。学問に、宗教に、道義に生きよう。欧亜にまたがるかくの如き大戦の惨禍を未来永劫世界より絶滅するための一助言者として生き抜こう。これが佯(いつ)わらざる日本人の心理であり、新日本の姿勢である。開院式の御垂示に「平和国家」と宣うた。然り、平和国家の平和なるみ民として、断じて敗るることなき文化と精神の大道を踏み出そうとしているのだ。このコペルニクス的大転回は、総て徐々にもせよ事実の上に現れて来るであろうが、日本人の外は中国人が些(いささ)か理解し得る外は、国際的になかなか腑に落ちないかも知れない。それはそれでよろしい、けれども、ここにはっきりしているのは「信義」を内外に失うようなことは、日本国民自体が絶対的に許さないであろう事だ。心ある国民はそもそも一部官辺のナチスかぶれの思想が今日の禍を齎したことを痛感している。民本の、君民一体のわが国に独裁者気取りの指導者の介在することを嫌悪していたのだ。それらのものは戦争犯罪者として処断されるに全大衆の痛烈なる審判に包囲されているのだ。もって陰険と、謀略と、不忠と無智と饗膳とを払拭し去ろうとしているのだ。「平和国家」日本の、平和国民日本人の途は、かくて世界的に客観性を立証するに至るであろう。」


※本書『心踊る平和憲法誕生の時代』の注文については、こちらから

by kenpou-dayori | 2013-09-05 08:00 | 戦後日本と憲法民主化報道
2013年 09月 05日

憲法便り#269 昭和二十二年、徳島県憲法記念館建設を呼びかけたビラを入手!

『心踊る平和憲法誕生の時代』の題名は、昭和21年11年1日付『徳島民報』に掲載された新憲法公布を祝って開催された阿波踊り大会の広告文に因んでいることは、すでに5月12日付の「憲法便り#8 憲法公布記念シリーズ(第2回)「当時の徳島県では」で紹介しました。
しかし、何回読んでも感動を覚える文章なので、ここで、もう一度紹介しておきます。

「十一月三日は新憲法公布の日だ、新日本の黎明だ、平和だ、友好だ、豊年じゃ、満作じゃ、みんなで祝う、阿波踊りが許された、踊りおどるなら華やかに踊ろう」
この喜び溢れる言葉は、一九四六年十一月一日付『徳島民報』一面に掲載された《新憲法祝賀おどり》広告の文章。日時は、十一月三日朝九時から夜十一時まで、会場は市役所前。主催者は徳島商工会議所と徳島民報社。

これは、決して一過性の「お祭り騒ぎ」ではありませんでした。
その証拠が、「徳島県憲法記念館」建設を呼びかけるビラで、内容は次の通りです。

徳島県憲法記念館
建設県民運動 自昭和22年9月 至昭和22年11月
県民の一人一人が新憲法の精神をしっかり握り守りたててゆけば希望と光明に輝く新しい日本が築かれてゆく たとへ今日の窮乏と苦痛がどんなにはげしくてもお互いの力でお互いの時代に解決しよう、そして一日も早く平和と文化を誇る民主日本の楽土を建設しよう
このような県民の決心と努力を記念するための憲法記念館建設運動です。
全県民の御賛同を切望します
 
総工費 500萬 圓 募 集
 用 材 1600石皇室御下賜
 着工昭和22年9月 竣工昭和23年5月
 
         徳島県憲法記念館建設委員会

「徳島県憲法記念館」建設県民運動の背景を最もよく物語るのは、昭和二十一年八日付『徳島新聞』の次の記事です。以前、論文のためにまとめておいた文章を、そのまま引用します。
「新憲法が成立した翌十月八日付徳島新聞には、読者が読みやすく保存しやすいようにその全文を収録した別刷りを付録として添付。また憲法全文と桜川影雄論説委員の解説などを収録した「日本国憲法」という小冊子(B6判三十㌻、二円)を発刊した。公布の翌十一月四日には用紙事情が悪いにもかかわらず、特別に四㌻に増ページし「恒久平和の先駆」と題した井上羽城の一文を載せたほか、新憲法と世界の憲法を比較する読み物などを掲載。公布の日の県内の様子を詳しく伝えた。官公署、学校、会社、銀行では祝賀会のあと運動会が挙行され、県ではお祝いのため児童にパン二つずつ特配したとある。
 新憲法は二十二年五月三日から施行されたが、徳島新聞ではそれを記念して憲法普及会県支部やNHK徳島放送局などとともに、新憲法に関する論文や「徳島県民の歌」を募集。施行日当日には西の丸球場で憲法まつりを開き、全徳島―駿台クラブの野球戦や阿波踊り大会などで祝った。また五日には南原繁東京大学総長による「新憲法と精神革命」と題した講演会を富田小学校で開催し、六、七日にわたってその要旨を載せた。
 募集論文のタイトルは「新憲法実施と徳島県民の行くべき道」で四百字詰め原稿用紙十五枚以内、一等賞金は二千円。三月二十二日の社告で募集を開始。四月二十日に締め切られた。加藤修一師範学校長らが審査の結果、徳島市南佐古町一丁目、徳島タイムス編集部員砂川健治、毎日新聞徳島支局員日野晃(のち西部本社編集局長兼論説委員)ら四人の論文はいずれも力作であるとして入選とし、紙面に掲載した。賞金は二等の分もあわせ三千円を四等分。若い応募が多く、入選四人のうち三人は二十歳代だった。ミニコミ紙やライバル紙の記者も応募、またその論文が入選するなど今では考えられないおおらかな時代だった。」

最後に、徳島県憲法記念館の完成および活動について、『阿波学会紀要 第54号』(2008.7)に掲載されている、新孝一著「阿波学会設立前後に関するメモ」に基き紹介します。

「昭和20年7月の徳島大空襲によって徳島県立光慶図書館は灰燼に帰した。その後、同24年5月3日徳島県憲法記念館(県立図書館)として再建された。憲法記念館は新憲法の精神を永遠に記念すると共に、県文化のサービス・ステーションの中核として位置付けられている。このことは図書館運動及び文化活動にとって、またその後の図書館の運営とともに全国的に注目された。ちなみに初代館長には徳島新聞社から薄池正夫氏が招聘された。
 憲法記念館は月報『徳島文化』を発刊した。この月報は憲法記念館の月々の業績を県内外の人々に伝達することを目的としていたが、それだけに留まらず、全ての人々に解放された自由な発言の場として、かつ明日の文化徳島を醸成する場としての機能をも併せ持っていた。
 憲法記念館は多くの文化活動を展開しており、とくに文化団体の組織化を図ったことが特色である。開館1年足らずの間に、学生演劇研究会・エスポワールクラブ・意匠美術協会・創作家グループ・県画劇協議会・阿波浄瑠璃人形芸術復興会・県華道連盟・社交ダンス研究会・自由劇団協議会など数多くの文化団体が発足した。憲法記念館の活動がいかに活発であったかを示すとともに、当時の社会にみなぎっていた文化的活動の高揚を物語るものである。しかし、開館して10か月後、昭和25年3月13日に再び焼失した。(以下、略)

 昭和28年11月3日、県立図書館はされましたが、現在は徳島駅前からバスを乗り継いで1時間ほどかかる場所に移転しています。
 私は、2011年の大震災後に、『徳島新聞』と『徳島民報』を調べるために、この徳島県立図書館を訪問しています。
〈図〉当時は紙不足のため、ビラはB5サイズ、用紙も薄いものが使われています。
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※本書『心踊る平和憲法誕生の時代』の注文については、こちらから

by kenpou-dayori | 2013-09-05 07:30 | 今日の話題
2013年 09月 05日

憲法便り#268 昭和20年9月5日 『朝日新聞』社説の題名は「平和国家」

「日本民主化の日歴」
今日は、9月5日付『朝日新聞』に基いています。

昭和20年9月5日(水)
[社説]
9月5日付『朝日新聞』社説の題名は「平和国家」。
(9月3日付『福島民報』がいち早く社説で「平和国家」を論じたのに対し、『朝日新聞』はお上の意向を伺ってから、ようやく書いていることに注目!)

[日本国内]
9月4日の開院式に「平和国家を確立」の勅語。
9月4日、閣議決定で技術院を廃止。
9月5日、科学教育局新設:文部省の機構を改革。

[帝国政府発表の進駐軍情報]
米軍一万五千進駐:八王子、神奈川、静岡、山梨各地へ。(五日から七日)
鹿屋に更に二千五百名、海上部隊 鹿児島湾に進入。(四日)
立川に続々進駐。(三日)
小田原に先遣隊。

[国外の軍隊]
9月2日、パラオ諸島の日本軍は、トラック島の日本軍と時を同じくして正式に降伏、調印【リスボン三日発同盟】=グアム来電。
9月3日、バギオに於いて、比島方面軍司令官山下奉文大将が、無条件降伏に調印【リスボン三日発同盟】=バギオ来電。
9月3日、小笠原諸島方面の日本軍が無条件降伏調印【リスボン三日発同盟】=グアム来電。

[外国]
三日午後一時、中国空軍北京進駐【北京四日発同盟】。
重慶に韓国臨時政府樹立【北京四日発同盟】=重慶来電。


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by kenpou-dayori | 2013-09-05 07:00 | 戦後日本と憲法民主化報道