岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞

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カテゴリ:戦争体験・戦跡・慰霊碑( 27 )


2018年 05月 29日

憲法便り#2630:絵・文 小林喜一著『南の島に眠る戦友へーグアム島帰還兵が描いた玉砕戦』(自費出版)を紹介します!(加筆版)

2018年5月29日(火)(憲法千話)
2018年5月30日(水)加筆

憲法便り#2630:絵・文 小林喜一著『南の島に眠る戦友へーグアム島帰還兵が描いた玉砕戦』(自費出版)を紹介します!(加筆版)

2018年5月24日(木)付の『東京新聞』夕刊7面で、「グアム戦 記憶たどる164枚」、「ジャングルさまよう姿 軍刀で戦車に挑む兵 ソテツの葉で戦友葬る」、「93歳 絵画集出版 飢え、自決 生々しく」の見出しと共に、本書が紹介されていた。

記事の末尾に連絡先が紹介されていたので、早速、電話をかけて、2冊注文をした。1冊は自分用、もう1冊は、友人・知人に紹介するためのもの。
28日(月)に、レターパックで届いたので、市川恵美さんのコンサートから帰ってすぐに、一気に読み終えた。

内容は、次の5章からなる。
第1章 南の島へ 昭和19年4月1日 
第2章 米軍上陸、玉砕戦 昭和19年7月21日
第3章 日本軍敗走、飢えと死のジャングルを彷徨う 
第4章 米軍掃討作戦で戦友を次々と失う
第5章 捕虜収容所から、ついに故郷へ

平成30年4月1日発行
発 行 小林喜一絵画集 製作委員会
発行人 小林喜美子
編集人 内藤寿美子
A4判、101頁
全ページ 上質紙を使ったカラー印刷
価 格 1000円

製作委員は、小林喜美子さん、横井美保子さん、内藤寿美子さん、仁後雅子さん、遠藤香代さん、吉田一裕さん、吉田聡子さんの7名。
小林喜美子さんは小林喜一さんの長女。
横井美保子さんは、故横井庄一さんの夫人。
内藤寿美子さん(77歳)は、この自費出版の発案者。グアム島戦で父を亡くした遺族で、父の顔を知らない。彼女は、遺骨収集活動や遺族会の人脈を通して、2008年に小林喜一さんの絵と出会った。
仁後雅子さんは、グアム戦玉砕兵士の遺児。
遠藤香代さんについては、下記の通り。
吉田一裕さんは、出版を担当。吉田聡子さんの夫。
吉田聡子さんは、会計担当。内藤寿美子さんの娘さん。

全世界にこの絵画集を広めるため、絵画全点に、小林喜一さんの文章に基づくキャプションと、英訳が施されている。
キャプション英訳を担当したのは、祖父がグアム島で戦死した、遠藤香代さん。「キャプション作成は、グアムで戦死した祖父が与えてくれた役割でした」と書いている。
訳語が的確で、分かり易い。
≪My Tribute≫で始まる標題の英訳も、優しさがあって、私は気に入っている。

製作には一年がかりで、苦労の連続だったが、内藤寿美子さんは、今が、人生で最も充実していると喜びを語る。
電話で話していても、エネルギーが伝わってくる。

さるところから200冊の注文があったので、すでに、再版も視野に入っている。
世界中から戦争を無くすため、この企画への応援を惜しまない。

問い合わせは、内藤寿美子さんへ
電 話:03-3905-0880
メール:heiwa20180401@gmail.com
なお、名古屋市中川区の横井庄一記念館(日曜のみ開館、入館無料)で、一部千円で頒布中。

正確を期するために、内藤さんのご了解を得て、以下に、表紙、目次、小林喜一さんの言葉、経歴、内藤寿美子さんの「絵画集上梓によせて」、小林喜美子さんの謝辞、製作委員会の「あとがき」と、いくつかのページをコピーで紹介します。

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44頁上段の絵は、表紙に使われている。
軍刀だけで、米軍の戦車に立ち向かう兵士たち。

キャプションには次のようにある。

「突撃! 佐々木兵曹と俺が助かったのみで全員殺された。玉砕だ!
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45頁上段の説明
火炎放射機で前方にいた兵士は焼かれた。俺の右腕に火がついていた。
45頁下段の絵の説明
重傷の平林上等兵を竹やぶに引き上げた。そばに陸軍の兵士2人が死んでいた。
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96頁上段の絵の説明
故郷へ生きて帰れた!!(昭和21年11月20日)21才。
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97頁 「絵画集上梓によせて」 内藤寿美子
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100頁 「謝 辞」 小林喜美子
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101頁 「あとがき」 小林喜一絵画集 製作委員会
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下は、2018年5月24日(木)付の『東京新聞』夕刊7面を借用
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by kenpou-dayori | 2018-05-29 22:21 | 戦争体験・戦跡・慰霊碑
2018年 05月 25日

憲法便り#2622:73年前の今日、山の手大空襲があった!(5項目再録)

2018年5月25日(金)(憲法千話)

憲法便り#2622:73年前の今日、山の手大空襲があった!(5項目再録)

『憲法便り』では、山の手大空襲について、いくつも記事を掲載してきました。

以前の記事にリンクし、紹介します。

憲法便り#2300:俳優仲代達矢さんが語る、想像を絶する「山の手空襲」の体験! そして、反戦・平和への思い!(ここをクリック)

憲法便り#1286:夏目坂上の感通寺にある、山手大空襲犠牲者を供養する観音像と慰霊園のこと(第二版)(ここをクリック)

憲法便り#1213:表参道入口の石灯籠の礎石に残る、山手大空襲時に焼死した人々の脂がしみ込んだ跡(ここをクリック)

憲法便り#822:山の手大空襲を語り継ぐ、朗読会に行ってきました。(ここをクリック)

憲法便り#803: 70年前の山の手大空襲 高田馬場・下落合一帯への空爆の証言(補訂版)(ここをクリック)






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by kenpou-dayori | 2018-05-25 21:34 | 戦争体験・戦跡・慰霊碑
2018年 03月 17日

憲法便り#2504:姉からもらった、東京大空襲そして福島への疎開体験をつづった手紙!

2018年3月17日(土)(憲法千話)

憲法便り#2504:姉からもらった、東京大空襲そして福島への疎開体験をつづった手紙!

4歳上の姉に誕生祝いを届けたところ、思いがけない手紙をもらいました。

東京大空襲そして福島への疎開体験をつづった手紙です。

まだ2歳半だった私が知らないことが書かれていましたので、

本人の了解を得て、『憲法便り』で紹介することにしました。


わが家では、死者こそ出なかったものの、

戦争は、常に、子ども、女性、老人、障害者など、弱い者が最初に犠牲になります。


「3月は暖かい日が多かったですね。

2月20日、お二人からの誕生祝いをありがとうございました。

登美子さん、いつもお手紙とすてきな絵葉書をありがとうございます。

行雄さん佐多岬の絵葉書をありがとうございました。2月9日はお父さんの祥月命日、懐かしく思い出していました。

私が六歳のとき、3月9日、10日の東京大空襲、B29の編隊は、9日の夜から不気味でした。葛飾・渋江の我が家の上も飛んでいました。そして、夜おそく、真っ赤になった東京の空。向島から逃れて、旧四ッ木橋を渡って渋江小学校へと続く人々の列。翌日もずーっと続いていました。

そして、お父さんとお母さんは、福島への疎開を決めました。3月24日ごろだったと思います。

日暮里(にっぽり)から汽車で・・・

貴方のことは、いつもお母さんがしっかりとおぶっていました。

日暮里駅は、人でいっぱいで、乗ることが大変でした。お父さんが、座席に座っている人に、私のことを、「お願いします」と開いている窓から押し込んでくれて乗車。

福島の小高の駅のすぐそばで、兄さん、洋子姉さん、貴方、私、お母さんの5人、六畳一間での暮らしが始まりました。光子姉さんは航空廠へ行っていたので、東京に残っていました。

窮屈な日々だったことを思い出します。でも、貸して下さった籠(かご)屋さん方々には、感謝しなくてはいけませんね。

その後、小名浜の親戚の家に移りました。

太平洋と川と丘というのか、田んぼが広がっていて、すてきな「離れ」を借りて過ごすことが出来ました。

でも、八月九日、静かな村の私達の家に焼夷弾が落とされました。私達が住んでいた「離れ」と、本家の二軒だけが焼けました。

おじさんたちが、必死で着る物ほかを、家から出してくれようとしましたが、火のまわりが早く、すべてを失いました。

一斗缶(いっとかん)に一杯にあったお米が上まで墨のように真っ黒、貴方をおぶって、黒くなったお米を手のひらにのせ、じっと見ていたお母さんが今も忘れられません。

その後、川のそばの岩屋を貸して下さる人がいて、そこで生活、8月15日終戦をむかえました。

玉音放送 ―― 「皆、並びなさい」と、ラジオの前でお母さんが・・・

涙を流すこともなく、怒ったような顔をしていました。

いつもりんとしていて、立派な人でした。

その後、山岸さんというお宅の離れをお借りすることができ、ありがたいことでした。

12月の雪の降る中、お母さんは片手に傘、片手に少し荷物を・・・

貴方をしっかりとおぶって・・・私はとなりで歩いていました。

人通りもなく、今思うと小説の中のシーンのようです。

東京で着いたところが、京成電車の線路の土手(どて)下の家でした。

私達、両親に守られていたのですね。

登美子さん、行雄さん、ありがとうございました。

桜もすぐですね。

ではまた。」

2018年3月15日


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by kenpou-dayori | 2018-03-17 20:11 | 戦争体験・戦跡・慰霊碑
2018年 03月 10日

憲法便り#2478:73年前の東京大空襲について思うこと!

2018年3月10日(土)(憲法千話)

憲法便り#2478:73年前の東京大空襲について思うこと!

東京大空襲があったのは、1945年3月9日から10日にかけて。

私たちの家族は、当時、葛飾区渋江町(現東四ツ木)に住んでいた。

家族構成は、父、母、長女、次女、長男、三女、そして私。

その時、私は、まだ2歳半。寝ていたのか、何も記憶していない。

だが、4歳年上の三女の姉は、よく覚えている。

向島方面(墨田区)の空が真っ赤だったという。

そして、四ツ木橋を渡って、人々が、一晩中、逃れてきたとのこと。

人の流れは、途切れることがなかった。

避難してきた人々は、ひとまず、学校に身を寄せた。

だが、逃げて来た人々があまりにも多すぎて、校舎には入りきれなかった。

その状況を見て、私たちの家族は、母方の親戚を頼って、福島県の小高(おだか)に疎開した。

疎開して間もなく、三女の姉は、晴れ着もなく、小学校の入学式を迎えた。

だが、小高の家と言うよりは、小屋は狭かったので、小名浜の親戚のところに移った。

親戚の皆さんのお陰で、命拾いをし、生活に慣れてきたと思っていたが、8月9日に小名浜は米軍の爆撃を受けた。

私たちが住んでいた離れは、焼夷弾の直撃を受けて燃え上がり、その火は母屋に燃え広がった。

死者こそ出なかったが、生活のすべてを奪われた。

だから、私たちは、戦争には、絶対反対なのだ!

いろいろ理屈をこねて、平和憲法を変えることには、絶対反対なのだ!

平和憲法は、「不可逆的」なものなのだ!



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by kenpou-dayori | 2018-03-10 22:24 | 戦争体験・戦跡・慰霊碑
2018年 01月 10日

憲法便り#2307:児玉勇二弁護士の年賀状に綴られた悲惨な戦争体験!ぜひ、お読みください!

2018年1月10日(水)(憲法千話)

憲法便り#2307:児玉勇二弁護士の年賀状に綴られた悲惨な戦争体験!

児玉勇二弁護士からの年賀状は、ショッキングな内容でした。

ご本人の承諾を得て、ここに全文を紹介します。


明けましておめでとうございます

僕が生まれて初めて覚えた言葉は「ぼーくう」という言葉でした。

母から戦争中私を抱え死体を踏みつけて逃げまわり、拒否された防空壕が全滅になったことを聞かされて育ちました。
また、中学校の2年の時、親友が広島の原爆の黒い雨に打たれたため白血病で突然亡くなる経験をしました。
今戦後、戦争を阻止し続けてきた憲法9条が改憲されようとしています。
何としてでも反対していかなければならない思いで活動しています。
長年訴え続けてきた空襲被害者ら皆さんの戦後補償実現、国連で採択された核兵器禁止条約が日本でも批准されるよう
いずれにも頑張らなければならない年になりそうです。
今年もよろしくお願いします。

平成30年1月元旦



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by kenpou-dayori | 2018-01-10 22:34 | 戦争体験・戦跡・慰霊碑
2018年 01月 08日

憲法便り#2300:俳優仲代達矢さんが語る、想像を絶する「山の手空襲」の体験! そして、反戦・平和への思い!

2018年1月8日(月)(憲法千話)

憲法便り#2300:俳優仲代達矢さんが語る、想像を絶する「山の手空襲」の体験! そして、反戦・平和への思い!

『しんぶん赤旗』新年合併号(2017年12月31日、2018年1月7日)の第40面(最終面)に、
「この人に聞きたい」という特集で、無名塾公演『肝っ玉おっ母と子供たち』(作/ブレヒト、演出/隆巴(りゅう・ともえ)で全国巡演中の俳優仲代達矢さんの談話『第1回 戦争行商人描く反戦劇 遺言のつもりで臨む』が掲載されています。

その中で、空爆体験者の私でも、想像を絶する俳優仲代達矢さんのすさまじい体験談が紹介されていました。
すでに、お読みになった方も、多いことと思います。
私は、何回読んでも、涙がでて、文字がぼけてしまいます。

しかし、私なりに、やはり伝えておきたい思います。
仲代さんの思いをしっかりと受け止めるため、紙面のおよそ半分を入力してみました。
その方が、私自身もはっきり記憶できます。

要約しては失礼にあたるので、談話のうち、まず、「空襲で救えなかった少女 今も後悔」の部分をそのまま紹介します。

「焼夷弾が直撃」の中見出しのあと、次の談話が続きます。

〈自身も戦争体験者です。1932年、東京目黒区生まれ。小学校から軍事教練を受け、「お国のために死ね」と教え込まれた少年でした。忘れられないのは、2万2千人が死傷した「山の手空襲」。45年5月25日夜、12歳の時です。〉
 渋谷駅近くの自宅から、友達に会いに行く途中でした。青山学院を過ぎた辺りで空襲警報が鳴り、焼夷(しょうい)弾がバラバラ落ちてきた。逃げながら隠れる場所を探しました。すると、6歳くらいの少女がぼーっと立っていた。その子の手を引き、夢中で逃げました。
 そのうち、ふと手が軽くなりました。見ると、左腕だけになっていた。焼夷弾が直撃し、体を飛ばされたんです。私はアッと驚いて、思わず、その腕を放して逃げてしまった。弔ってあげなきゃいけなかったのに・・・。
 あの子を捨ててしまったという悔いが、今もずっと残っています。「肝っ玉ー」で子どもが死ぬ場面でも、あの子のことがよぎります。
 戦争は、むごいものです。私が死ぬ時は、「戦争反対」と言って、往きたい。

談話は、「9条を壊すな」という中見出しの後、次のように続きます。

〈核兵器廃絶を求める「ヒバクシャ国際署名」の呼びかけ人の一人です。
 被爆者の方々の長年の努力が実り、ついに国連で核兵器禁止条約が採択されました。
 ところが、被爆国であるわが国の政府は、米国の顔色をうかがい、この条約に背を向けています。あげく、北朝鮮問題を理由に、米国大統領の挑発的な暴言を支持し、もっと武器を買え」という要求をのんだ。「憲法9条を変える」とまで言っている。「日本も核武装しよう」という論議まである。何ということでしょうが。
 北朝鮮の行為は許せない。でも核戦争になれば終わりです。日本の国は、絶対に戦争を起こさないよう、がまん強く外交と対話の力でがんばってほしい。
 国のリーダーが「国を守る」と叫び始めると、国民は「なるほど」と思いがちです。でもそれはまさに、わたしの少年時代の日本と同じ。戦争は、「国防」の名で始まります。今の”風”はかなりやばいぞと感じます。
 今の日本が曲がりなりにも平和なのは、憲法9条があるおかげです。70年以上も、戦争で殺した人、殺された人がいない。これは世界を見渡しても奇跡です。なぜこの奇跡を守らないのか。死に物狂いで、9条を守らにゃいけません。
〈主演映画「人間の条件」(59~61年)の小林正樹監督、山本薩夫監督ら、平和への揺るがない思いを持った巨匠に学びました〉
 黒澤明監督は、「最後の反戦映画を作る」とおっしゃって「乱」(85年)を撮りました。
 どうあっても戦争を続ける愚かな人類。その様を神の目線で俯瞰(ふかん)し、お客さんに問いかけた。海外にこの作品を持っていくと、「すばらしい反戦劇だ」といわれます。
 私の師匠である千田是也先生など新劇の先輩は、演劇を通して平和と自由を求めました。そのため多くは戦前、逮捕、投獄されました。
 平和も人権も民主主義も、不断の努力によってしか勝ち取れないとつくづく思います。
 単に見て面白かったというだけが芝居ではない。時には少し哲学的なこと、この世界で行われていることは、良いことか悪いことか、人間としてどう生きるか、そんな道を示す役割もある。大きな資本に左右されず、私たちが自由に発言し、つくっていかなければならないと思います。
 残り少ない役者人生をかけて、遺言のつもりで舞台に臨みます。(つづく)

以下に、『しんぶん赤旗』新年合併号(2017年12月31日、2018年1月7日)の第40面の画像を引用。
そして、公演のチラシを紹介します。(私は、この公演を是非見たいと思い、チケットを入手しました)
無名塾へのチケットの問い合わせは、
03-3709-7506(平日10:00~18:00)
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なお、山の手空襲の関連情報は、ここをクリックして下さい。


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by kenpou-dayori | 2018-01-08 21:36 | 戦争体験・戦跡・慰霊碑
2017年 11月 09日

憲法便り#2222:トランプ政権の言いなりになっている安倍首相をはじめ日本政府の皆さんが読んで欲しい、峠三吉の原爆詩集『序』(にんげんをかえせ)

2017年11月9日(木)(憲法千話)

憲法便り#2222:トランプ政権の言いなりになっている安倍首相をはじめ日本政府の皆さんが読んで欲しい、峠三吉の原爆詩集『序』(にんげんをかえせ)

日本政府は、国連での核兵器禁止条約の本質的な論議からも、採決の場からも逃げ出したことは記憶に新しい。
世界で唯一の戦争被爆国として、果たすべき役割を放棄し、世界各国の失望を招いた。

だが、今からでも、国内での検討と論議は出来る。
北朝鮮への核攻撃も辞さないトランプ政権と一体化し、戦争への危険な道を歩んでいる安倍首相とその取り巻き、そして日本政府の皆さんに、頭を冷やして、この誌を読んで欲しい。

私は、すでに、昨年4月に、『憲法便り#1650』でこの詩を、下記のように紹介した。
昨日、もっとも多いアクセスがあったのは、この詩であった。

したがって、以下に再録をする。
*********************************************************

2016年4月2日(土)(憲法千話)

憲法便り#1650:G7外相会議の参加者が読んで欲しい、峠三吉の原爆詩集『序』(にんげんをかえせ)

G7外相会議が広島で開催されることになった。
原爆を投下した当事国の、アメリカのケリー国務長官も出席するという。
この作品を、是非とも、日本の岸田外務大臣を含め、全員が読んで欲しい。

そして、あらゆる戦争をやめ、核兵器廃絶に向けての決意を固めるよう、強く求めるものである。

なお、この記事は、次の二つにリンクしています。

①大木正夫作曲、英語の対訳付きは、こちらへ

②峠三吉著「人間をかえせ」
 入力出来る字数に制限がありますので、以下に、最初の部分のみを紹介します。
 作品全体は、こちらへ
 かなり長い作品であり、つらい内容ですから、時間と、気持ちに余裕がある時に、一気にお読みなることをお勧めします。
 以下に、この作品の準備をなさった皆さんに敬意を表し、紹介します。

底本:「新編 原爆詩集」青木書店
   1995(平成7)年7月7日第1版第1刷発行
入力:広島に文学館を! 市民の会、福田真紀子さん
校正:LUNA CAT
2004年7月11日作成
2012年3月24日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


峠三吉



+目次

[#ページの左右中央]


――一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。


[#改丁]



ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
[#改ページ]

八月六日

あの閃光が忘れえようか
瞬時に街頭の三万は消え
圧おしつぶされた暗闇の底で
五万の悲鳴は絶え

渦巻くきいろい煙がうすれると
ビルディングは裂さけ、橋は崩くずれ
満員電車はそのまま焦こげ
涯しない瓦礫がれきと燃えさしの堆積たいせきであった広島
やがてボロ切れのような皮膚を垂れた
両手を胸に
くずれた脳漿のうしょうを踏み
焼け焦こげた布を腰にまとって
泣きながら群れ歩いた裸体の行列

石地蔵のように散乱した練兵場の屍体
つながれた筏いかだへ這はいより折り重った河岸の群も
灼やけつく日ざしの下でしだいに屍体とかわり
夕空をつく火光かこうの中に
下敷きのまま生きていた母や弟の町のあたりも
焼けうつり

兵器廠へいきしょうの床の糞尿ふんにょうのうえに
のがれ横たわった女学生らの
太鼓腹の、片眼つぶれの、半身あかむけの、丸坊主の
誰がたれとも分らぬ一群の上に朝日がさせば
すでに動くものもなく
異臭いしゅうのよどんだなかで
金かなダライにとぶ蠅の羽音だけ

三十万の全市をしめた
あの静寂が忘れえようか
そのしずけさの中で
帰らなかった妻や子のしろい眼窩がんかが
俺たちの心魂をたち割って
込めたねがいを
忘れえようか!
[#改ページ]




泣き叫ぶ耳の奥の声
音もなく膨ふくれあがり
とびかかってきた
烈しい異状さの空間
たち罩こめた塵煙じんえんの
きなくさいはためきの間を
走り狂う影
〈あ
にげら
れる〉
はね起きる腰から
崩れ散る煉瓦屑の
からだが
燃えている
背中から突き倒した
熱風が
袖で肩で
火になって
煙のなかにつかむ
水槽のコンクリー角
水の中に
もう頭
水をかける衣服が
焦こげ散って
ない
電線材木釘硝子片
波打つ瓦の壁
爪が燃え
踵かかとがとれ
せなかに貼はりついた鉛の溶鈑ようばん
〈う・う・う・う〉
すでに火
くろく
電柱も壁土も
われた頭に噴ふきこむ
火と煙
の渦
〈ヒロちゃん ヒロちゃん〉
抑える乳が
あ 血綿けつめんの穴
倒れたまま
――おまえおまえおまえはどこ
腹這いいざる煙の中に
どこから現れたか
手と手をつなぎ
盆踊りのぐるぐる廻りをつづける
裸のむすめたち
つまずき仆たおれる環の
瓦の下から
またも肩
髪のない老婆の
熱気にあぶり出され
のたうつ癇高かんだかいさけび
もうゆれる炎の道ばた
タイコの腹をふくらせ
唇までめくれた
あかい肉塊たち
足首をつかむ
ずるりと剥むけた手
ころがった眼で叫ぶ
白く煮えた首
手で踏んだ毛髪、脳漿のうしょう
むしこめる煙、ぶっつかる火の風
はじける火の粉の闇で
金いろの子供の瞳
燃える体
灼やける咽喉のど
どっと崩折くずおれて

めりこんで

おお もう
すすめぬ
暗いひとりの底
こめかみの轟音が急に遠のき
ああ
どうしたこと
どうしてわたしは
道ばたのこんなところで
おまえからもはなれ
し、死な
ねば

らぬ

[#改ページ]



衝つき当った天蓋てんがいの
まくれ拡がった死被しひの
垂れこめた雲の
薄闇の地上から
煙をはねのけ
歯がみし
おどりあがり
合体して
黒い あかい 蒼あおい炎は
煌きらめく火の粉を吹き散らしながら
いまや全市のうえに
立ちあがった。

藻ものように ゆれゆれ
つきすすむ炎の群列。
屠殺場とさつじょうへ曳ひかれていた牛の群は
河岸をなだれ墜おち
灰いろの鳩が一羽
羽根をちぢめて橋のうえにころがる。
ぴょこ ぴょこ
噴煙のしたから這い出て
火にのまれゆくのは
四足の
無数の人間。
噴き崩れた余燼よじんのかさなりに
髪をかきむしったまま
硬直こうちょくした
呪いが燻くすぶる

濃縮のうしゅくされ
爆発した時間のあと
灼熱しゃくねつの憎悪だけが
ばくばくと拡がって。
空間に堆積たいせきする
無韻むいんの沈黙

太陽をおしのけた
ウラニューム熱線は
処女の背肉に
羅衣うすぎぬの花模様を焼きつけ
司祭の黒衣を
瞬間 燃えあがらせ
1945, Aug. 6
まひるの中の真夜
人間が神に加えた
たしかな火刑。
この一夜
ひろしまの火光は
人類の寝床に映り
歴史はやがて
すべての神に似るものを
待ち伏せる。
[#改ページ]

盲目

河岸におしつぶされた
産院の堆積たいせきの底から
妻に付き添っていた男ら
手脚をひきずり
石崖の伝馬てんまにあつまる

胸から顔を硝子片に襲われたくら闇のなか
干潟ひがたの伝馬は火の粉にぬりこめられ
熱に追われた盲めしい
河原に降りてよろめき
よろめく脚を
泥土に奪われ

仆たおれた群に
寂漠せきばくとひろしまは燃え
燃えくずれ
はや くれ方のみち汐しお

河原に汐はよせ
汐は満ち
手が浸り脚が浸り
むすうの傷穴から海水がしみ入りつつ
動かぬものら
顫ふるえる意識の暗黒で
喪うしなわれたものをまさぐる神経が
閃光の爆幕に突きあたり
もう一度
燃尽しょうじんする

巨大な崩壊を潜くぐりこえた本能が
手脚の浮動にちぎれ
河中に転落する黒焦くろこげの梁木はりぎに
ゆらめく生の残像

(嬰児えいじと共の 妻のほほえみ
  透明な産室の 窓ぎわの朝餉あさげ)

そして
硝子にえぐられた双眼が
血膿ちうみと泥と
雲煙の裂け間
山上の
暮映ぼえいを溜ため
[#改ページ]

仮繃帯所にて

あなたたち
泣いても涙のでどころのない
わめいても言葉になる唇のない
もがこうにもつかむ手指の皮膚のない
あなたたち

血とあぶら汗と淋巴液リンパえきとにまみれた四肢ししをばたつかせ
糸のように塞ふさいだ眼をしろく光らせ
あおぶくれた腹にわずかに下着のゴム紐だけをとどめ
恥しいところさえはじることをできなくさせられたあなたたちが
ああみんなさきほどまでは愛らしい
女学生だったことを
たれがほんとうと思えよう

焼け爛ただれたヒロシマの
うす暗くゆらめく焔のなかから
あなたでなくなったあなたたちが
つぎつぎととび出し這い出し
この草地にたどりついて
ちりちりのラカン頭を苦悶くもんの埃ほこりに埋める

何故こんな目に遭あわねばならぬのか
なぜこんなめにあわねばならぬのか
何の為に
なんのために
そしてあなたたちは
すでに自分がどんなすがたで
にんげんから遠いものにされはてて
しまっているかを知らない

ただ思っている
あなたたちはおもっている
今朝がたまでの父を母を弟を妹を
(いま逢ったってたれがあなたとしりえよう)
そして眠り起きごはんをたべた家のことを
(一瞬に垣根の花はちぎれいまは灰の跡さえわからない)

おもっているおもっている
つぎつぎと動かなくなる同類のあいだにはさまって
おもっている
かつて娘だった
にんげんのむすめだった日を
[#改ページ]



みしらぬ貌かおがこっちを視みている
いつの世の
いつの時かわからぬ暗い倉庫のなか
歪ゆがんだ格子窓から、夜でもない昼でもないひかりが落ち
るいるいと重ったかつて顔だった貌。あたまの前側だった貌。
にんげんの頂部ちょうぶにあって生活のよろこびやかなしみを
ゆらめく水のように映していたかお。
ああ、今は眼だけで炎えるじゅくじゅくと腐った肉塊
もげ落ちたにんげんの印形いんぎょう
コンクリートの床にガックリ転がったまま
なにかの力で圧しつけられてこゆるぎもしないその
蒼あおぶくれてぶよつく重いまるみの物体は
亀裂きれつした肉のあいだからしろい光りだけを移動させ
おれのゆく一歩一歩をみつめている。
俺の背中を肩を腕をべったりとひっついて離れぬ眼。
なぜそんなに視みるのだ
あとからあとから追っかけまわりからかこんで、ほそくしろい視線を射かける
眼、め、メ、
あんなにとおい正面から、あの暗い陰から、この足もとからも
あ、あ、あ
ともかく額が皮膚をつけ鼻がまっすぐ隆起し
服を着けて立った俺という人間があるいてゆくのを
じいっと、さしつらぬいてはなれぬ眼。
熱気のつたわる床ゆかから
息づまる壁から、がらんどうの天井てんじょうを支える頑丈な柱の角から
現れ、あらわれ、消えることのない眼。
ああ、けさはまだ俺の妹だった人間のひとりをさがして
この闇に踏みこんだおれの背中から胸へ、腋わきから肩へ
べたべた貼りついて永劫えいごうきえぬ
眼!
コンクリートの上の、筵むしろの藁わらの、どこからか尿のしみ出す編目に埋めた
崩れそうな頬の
塗薬とやくと、分泌物ぶんぴぶつと、血と、焼け灰のぬらつく死に貌がおのかげで
や、や、
うごいた眼が、ほろりと透明な液をこぼし
めくれた唇で
血泡けっほうの歯が
おれの名を、噛むように呼んでいる。
[#改ページ]

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by kenpou-dayori | 2017-11-09 10:54 | 戦争体験・戦跡・慰霊碑
2016年 08月 15日

憲法便り#1847:「終戦」はごまかしの表現である!「敗戦」なのだ!戦争体験・戦跡・慰霊碑(19件)の一覧リスト

2016年8月15日(月)(憲法千話)

憲法便り#1847:「終戦」はごまかしの表現である!「敗戦」なのだ!戦争体験・戦跡・慰霊碑(19件)の一覧リスト(*各項目にリンクしています)

「敗戦」ではなく、「終戦」という無主語の表現が、マスコミでの多く使われているが、
これは戦争を始めた指導者の戦争責任を免罪する表現に繋がる。

主戦派は、本土決戦、一億玉砕を掲げて、日本国民を、悲惨な敗戦に導いた。
大本営発表を唯々諾々とながし続けたマスコミも、主戦派の勢いを止められないばかりか、
国民を戦争へと駆り立てた。

いま、安倍政権は、中国、北朝鮮を利用して危機感を煽り、
新たな戦争政策を推し進めている。

私は、戦争体験者として、いかなる戦争にも、反対である。
国際紛争は、話し合いによって解決すべきである。

さきの戦争の記憶を止め、安倍政権の戦争政策をストップするため、
『憲法便り』のこれまでの記事の中から、戦争体験・戦跡・慰霊碑(19件)の一覧表をここに再録する。

カテゴリ:戦争体験・戦跡・慰霊碑( 19件 )


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by kenpou-dayori | 2016-08-15 10:21 | 戦争体験・戦跡・慰霊碑
2016年 04月 02日

憲法便り#1650:G7外相会議の参加者が読んで欲しい、峠三吉の原爆詩集『序』(にんげんをかえせ)

2016年4月2日(土)(憲法千話)

憲法便り#1650:G7外相会議の参加者が読んで欲しい、峠三吉の原爆詩集『序』(にんげんをかえせ)

G7外相会議が広島で開催されることになった。
原爆を投下した当事国の、アメリカのケリー国務長官も出席するという。
この作品を、是非とも、日本の岸田外務大臣を含め、全員が読んで欲しい。

そして、あらゆる戦争をやめ、核兵器廃絶に向けての決意を固めるよう、強く求めるものである。

なお、この記事は、次の二つにリンクしています。

①大木正夫作曲、英語の対訳付きは、こちらへ

②峠三吉著「人間をかえせ」
 入力出来る字数に制限がありますので、以下に、最初の部分のみを紹介します。
 作品全体は、こちらへ
 かなり長い作品であり、つらい内容ですから、時間と、気持ちに余裕がある時に、一気にお読みなることをお勧めします。
 以下に、この作品の準備をなさった皆さんに敬意を表し、紹介します。

底本:「新編 原爆詩集」青木書店
   1995(平成7)年7月7日第1版第1刷発行
入力:広島に文学館を! 市民の会、福田真紀子さん
校正:LUNA CAT
2004年7月11日作成
2012年3月24日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


峠三吉



+目次

[#ページの左右中央]


――一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。


[#改丁]



ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
[#改ページ]

八月六日

あの閃光が忘れえようか
瞬時に街頭の三万は消え
圧おしつぶされた暗闇の底で
五万の悲鳴は絶え

渦巻くきいろい煙がうすれると
ビルディングは裂さけ、橋は崩くずれ
満員電車はそのまま焦こげ
涯しない瓦礫がれきと燃えさしの堆積たいせきであった広島
やがてボロ切れのような皮膚を垂れた
両手を胸に
くずれた脳漿のうしょうを踏み
焼け焦こげた布を腰にまとって
泣きながら群れ歩いた裸体の行列

石地蔵のように散乱した練兵場の屍体
つながれた筏いかだへ這はいより折り重った河岸の群も
灼やけつく日ざしの下でしだいに屍体とかわり
夕空をつく火光かこうの中に
下敷きのまま生きていた母や弟の町のあたりも
焼けうつり

兵器廠へいきしょうの床の糞尿ふんにょうのうえに
のがれ横たわった女学生らの
太鼓腹の、片眼つぶれの、半身あかむけの、丸坊主の
誰がたれとも分らぬ一群の上に朝日がさせば
すでに動くものもなく
異臭いしゅうのよどんだなかで
金かなダライにとぶ蠅の羽音だけ

三十万の全市をしめた
あの静寂が忘れえようか
そのしずけさの中で
帰らなかった妻や子のしろい眼窩がんかが
俺たちの心魂をたち割って
込めたねがいを
忘れえようか!
[#改ページ]




泣き叫ぶ耳の奥の声
音もなく膨ふくれあがり
とびかかってきた
烈しい異状さの空間
たち罩こめた塵煙じんえんの
きなくさいはためきの間を
走り狂う影
〈あ
にげら
れる〉
はね起きる腰から
崩れ散る煉瓦屑の
からだが
燃えている
背中から突き倒した
熱風が
袖で肩で
火になって
煙のなかにつかむ
水槽のコンクリー角
水の中に
もう頭
水をかける衣服が
焦こげ散って
ない
電線材木釘硝子片
波打つ瓦の壁
爪が燃え
踵かかとがとれ
せなかに貼はりついた鉛の溶鈑ようばん
〈う・う・う・う〉
すでに火
くろく
電柱も壁土も
われた頭に噴ふきこむ
火と煙
の渦
〈ヒロちゃん ヒロちゃん〉
抑える乳が
あ 血綿けつめんの穴
倒れたまま
――おまえおまえおまえはどこ
腹這いいざる煙の中に
どこから現れたか
手と手をつなぎ
盆踊りのぐるぐる廻りをつづける
裸のむすめたち
つまずき仆たおれる環の
瓦の下から
またも肩
髪のない老婆の
熱気にあぶり出され
のたうつ癇高かんだかいさけび
もうゆれる炎の道ばた
タイコの腹をふくらせ
唇までめくれた
あかい肉塊たち
足首をつかむ
ずるりと剥むけた手
ころがった眼で叫ぶ
白く煮えた首
手で踏んだ毛髪、脳漿のうしょう
むしこめる煙、ぶっつかる火の風
はじける火の粉の闇で
金いろの子供の瞳
燃える体
灼やける咽喉のど
どっと崩折くずおれて

めりこんで

おお もう
すすめぬ
暗いひとりの底
こめかみの轟音が急に遠のき
ああ
どうしたこと
どうしてわたしは
道ばたのこんなところで
おまえからもはなれ
し、死な
ねば

らぬ

[#改ページ]



衝つき当った天蓋てんがいの
まくれ拡がった死被しひの
垂れこめた雲の
薄闇の地上から
煙をはねのけ
歯がみし
おどりあがり
合体して
黒い あかい 蒼あおい炎は
煌きらめく火の粉を吹き散らしながら
いまや全市のうえに
立ちあがった。

藻ものように ゆれゆれ
つきすすむ炎の群列。
屠殺場とさつじょうへ曳ひかれていた牛の群は
河岸をなだれ墜おち
灰いろの鳩が一羽
羽根をちぢめて橋のうえにころがる。
ぴょこ ぴょこ
噴煙のしたから這い出て
火にのまれゆくのは
四足の
無数の人間。
噴き崩れた余燼よじんのかさなりに
髪をかきむしったまま
硬直こうちょくした
呪いが燻くすぶる

濃縮のうしゅくされ
爆発した時間のあと
灼熱しゃくねつの憎悪だけが
ばくばくと拡がって。
空間に堆積たいせきする
無韻むいんの沈黙

太陽をおしのけた
ウラニューム熱線は
処女の背肉に
羅衣うすぎぬの花模様を焼きつけ
司祭の黒衣を
瞬間 燃えあがらせ
1945, Aug. 6
まひるの中の真夜
人間が神に加えた
たしかな火刑。
この一夜
ひろしまの火光は
人類の寝床に映り
歴史はやがて
すべての神に似るものを
待ち伏せる。
[#改ページ]

盲目

河岸におしつぶされた
産院の堆積たいせきの底から
妻に付き添っていた男ら
手脚をひきずり
石崖の伝馬てんまにあつまる

胸から顔を硝子片に襲われたくら闇のなか
干潟ひがたの伝馬は火の粉にぬりこめられ
熱に追われた盲めしい
河原に降りてよろめき
よろめく脚を
泥土に奪われ

仆たおれた群に
寂漠せきばくとひろしまは燃え
燃えくずれ
はや くれ方のみち汐しお

河原に汐はよせ
汐は満ち
手が浸り脚が浸り
むすうの傷穴から海水がしみ入りつつ
動かぬものら
顫ふるえる意識の暗黒で
喪うしなわれたものをまさぐる神経が
閃光の爆幕に突きあたり
もう一度
燃尽しょうじんする

巨大な崩壊を潜くぐりこえた本能が
手脚の浮動にちぎれ
河中に転落する黒焦くろこげの梁木はりぎに
ゆらめく生の残像

(嬰児えいじと共の 妻のほほえみ
  透明な産室の 窓ぎわの朝餉あさげ)

そして
硝子にえぐられた双眼が
血膿ちうみと泥と
雲煙の裂け間
山上の
暮映ぼえいを溜ため
[#改ページ]

仮繃帯所にて

あなたたち
泣いても涙のでどころのない
わめいても言葉になる唇のない
もがこうにもつかむ手指の皮膚のない
あなたたち

血とあぶら汗と淋巴液リンパえきとにまみれた四肢ししをばたつかせ
糸のように塞ふさいだ眼をしろく光らせ
あおぶくれた腹にわずかに下着のゴム紐だけをとどめ
恥しいところさえはじることをできなくさせられたあなたたちが
ああみんなさきほどまでは愛らしい
女学生だったことを
たれがほんとうと思えよう

焼け爛ただれたヒロシマの
うす暗くゆらめく焔のなかから
あなたでなくなったあなたたちが
つぎつぎととび出し這い出し
この草地にたどりついて
ちりちりのラカン頭を苦悶くもんの埃ほこりに埋める

何故こんな目に遭あわねばならぬのか
なぜこんなめにあわねばならぬのか
何の為に
なんのために
そしてあなたたちは
すでに自分がどんなすがたで
にんげんから遠いものにされはてて
しまっているかを知らない

ただ思っている
あなたたちはおもっている
今朝がたまでの父を母を弟を妹を
(いま逢ったってたれがあなたとしりえよう)
そして眠り起きごはんをたべた家のことを
(一瞬に垣根の花はちぎれいまは灰の跡さえわからない)

おもっているおもっている
つぎつぎと動かなくなる同類のあいだにはさまって
おもっている
かつて娘だった
にんげんのむすめだった日を
[#改ページ]



みしらぬ貌かおがこっちを視みている
いつの世の
いつの時かわからぬ暗い倉庫のなか
歪ゆがんだ格子窓から、夜でもない昼でもないひかりが落ち
るいるいと重ったかつて顔だった貌。あたまの前側だった貌。
にんげんの頂部ちょうぶにあって生活のよろこびやかなしみを
ゆらめく水のように映していたかお。
ああ、今は眼だけで炎えるじゅくじゅくと腐った肉塊
もげ落ちたにんげんの印形いんぎょう
コンクリートの床にガックリ転がったまま
なにかの力で圧しつけられてこゆるぎもしないその
蒼あおぶくれてぶよつく重いまるみの物体は
亀裂きれつした肉のあいだからしろい光りだけを移動させ
おれのゆく一歩一歩をみつめている。
俺の背中を肩を腕をべったりとひっついて離れぬ眼。
なぜそんなに視みるのだ
あとからあとから追っかけまわりからかこんで、ほそくしろい視線を射かける
眼、め、メ、
あんなにとおい正面から、あの暗い陰から、この足もとからも
あ、あ、あ
ともかく額が皮膚をつけ鼻がまっすぐ隆起し
服を着けて立った俺という人間があるいてゆくのを
じいっと、さしつらぬいてはなれぬ眼。
熱気のつたわる床ゆかから
息づまる壁から、がらんどうの天井てんじょうを支える頑丈な柱の角から
現れ、あらわれ、消えることのない眼。
ああ、けさはまだ俺の妹だった人間のひとりをさがして
この闇に踏みこんだおれの背中から胸へ、腋わきから肩へ
べたべた貼りついて永劫えいごうきえぬ
眼!
コンクリートの上の、筵むしろの藁わらの、どこからか尿のしみ出す編目に埋めた
崩れそうな頬の
塗薬とやくと、分泌物ぶんぴぶつと、血と、焼け灰のぬらつく死に貌がおのかげで
や、や、
うごいた眼が、ほろりと透明な液をこぼし
めくれた唇で
血泡けっほうの歯が
おれの名を、噛むように呼んでいる。
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by kenpou-dayori | 2016-04-02 20:29 | 戦争体験・戦跡・慰霊碑
2015年 12月 13日

憲法便り#1467:早稲田大学同期の友人からの喪中はがきで知らされた戦争の悲劇

2015年12月13日(日)(憲法千話)

憲法便り#1467:早稲田大学同期の友人からの喪中はがきで知らされた戦争の悲劇

毎年、11月の中旬から「喪中はがき」と届く。
誰もが、いつかはむかえる人生の終わり。

ひとそれぞれの人生がある。

いつも年賀状が届く早稲田大学時代の同期の友人N君から、
十二月上旬に、喪中はがきが届いた。

御母堂が、97歳の生涯を閉じたことの後に、
次のように綴られていた。

「戦火に引き裂かれた、初恋の夫との人生を、
いまにぎやかにやり直していることでしょう。」
「私たちも「戦争法廃止」の署名を集めています。」

私は、久しぶりに、N君に電話をかけた。
彼の母は、再婚をせずに、女手一つで、子供たちを育てた。
そして、彼を早稲田大学に進ませた。

私たち戦前生まれの「昭和世代」には、戦争の記憶は、
自分自身の人生と重なりあっています。

戦争を美化してはならない!
戦争を繰り返してはならない!
我々は、戦争を忘れない!
そして、9・19を忘れない!
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by kenpou-dayori | 2015-12-13 09:30 | 戦争体験・戦跡・慰霊碑