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岩田行雄の憲法便り・日刊憲法新聞

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2013年 05月 28日

憲法便り#23 憲法公布記念シリーズ(第12回)「当時の長崎県では」

2013年5月28日

憲法便り#23 憲法公布記念シリーズ(第12回)「当時の長崎県では」

「蛇踊りも」

今日は、『長崎新聞』昭和21年11月3日付と4日付の紙面からふたつ紹介します。

ひとつは、11月3日付二面の下半分に掲載された祝賀広告です。

「新憲法公布 明るく躍る佐世保商工界 平和な楽しい郷土建設
この祝賀広告にある言葉が、すべてを表わしていると思います。

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ふたつ目は、11月4日付三面の上半分の記事。

新時代の黎明 憲法公布の歓び湧く 各地で厳かに祝賀式典」
この見出しの下に、長崎、佐世保、島原、大村など各地の行事を伝えています。

その記事の隣には、「復興祭三日」の記事があります。見出しは、
「久しぶりの“蛇踊”」「昔懐かし“モッテコイ モッテコイ”の連続」とあります。

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原爆で壊滅的な打撃を受けた長崎の人々の、復興に立ち向かう姿です。

明日は、鹿児島県です。

※本書『心踊る平和憲法誕生の時代』の注文については、こちらから

# by kenpou-dayori | 2013-05-28 07:00 | 憲法公布記念シリーズ
2013年 05月 27日

憲法便り#22 憲法公布記念シリーズ(第11回)「当時の佐賀県では」

2013年5月27日

憲法便り#22 憲法公布記念シリーズ(第11回)「当時の佐賀県では」

今日は、『佐賀新聞』昭和21年11月3日から三つ、11月4日からひとつの紙面を紹介します。

『佐賀新聞』を調べる以前は、佐賀県との関連で思い出すのは、
早稲田大学創設者大隈重信さんの出身県、
唐津港、
伊万里焼、
吉野ヶ里遺跡、
熱気球大会、
と限られたものでした。

しかしながら、昭和21年11月3日の憲法公布記念日前後を調べているうちに、印象は一変しました。

公布当日、県内各地での記念行事は、とても活発でした。
憲法公布祝賀広告にも、各界からの平和日本再建、民主日本再建、復興への意欲が明確に打ち出されています。

それらを、以下の四つの紙面で紹介します。

ひとつ目は、昭和21年11月3日一面下の祝賀広告です。
「祝 新憲法発布 平和日本再建」の見出しの下に、各官署、学校等の名称が列記されています。

佐賀県庁、
佐賀市役所 職員一同、
佐賀地方裁判所長、
佐賀地方裁判所検事正、
佐賀高等学校長、
内務省佐賀国道改良事務所長・兼 鳥栖国道改良事務所長、
農林省 佐賀食糧事務所長、
佐賀警察署長、
佐賀郵便局長、
佐賀専売局長、
佐賀少年刑務所長、
佐賀県町村会長一同、
佐賀郡市中等学校 校長会、
佐賀市会議員一同。
個人名は省略しましたが、実にさまざまな人たちが意思表示をしています。

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ふたつ目は、昭和21年11月3日二面に掲載された、浦崎造船所単独での祝賀広告です。
「祝 憲法発布」「生産再開へ 一路驀進」という言葉の他に、船を建造中のイラストがあります。

「造船従業員 大募集」「採用人員 二〇〇名」とありますが、職種が興味深い。
木型工、鋳型工、熔解工、混砂工、旋盤工、
組立工、管工、製罐工、罫書工、撓鉄工、
電気瓦斯溶接工、組合工、取付工、船台木工、
鋲打工、鍛工、仕上工、銅工、塗装工、
船具工、木工、穿孔工。
船の建造が、多くの技術の共同作業であったことが判ります。

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三つ目は、昭和21年11月3日四面の、光り輝く国会議事堂と鳳凰のイラストを配した、「新憲法制定 民主日本再建」の祝賀広告です。
唐津市と東松浦郡の企業、および唐津市会議員30人の名前が連なっています。
それらの中に、時代を感じさせる「貝島炭礦株式会社 岩屋炭礦」の名前があります。
「唐津酒造界 東ノ木屋、古屋、酒井屋」とあるのも、日本酒ファンの私には気になるところです。

上の段には、「歌劇座、蓬莱座、大正座」が連名で出した「新憲法発布記念大興行」の広告。
祝賀広告とはなっていないが、その右隣に、「大日本相撲協会 東京大相撲 羽黒山、照国一行 百五十名一挙来演」とあり、さらに隣には、昭和館跡「平和劇場」の広告。この時代、各地の道路や橋、公園などにも「平和」という名称が付けられていました。

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四つ目は、昭和21年11月4日一面下の、佐賀県農業会による祝賀広告。
左に国会議事堂、右に鳩を配し、会長および4名の理事、常任監事、部長および室長11名の
名前が列記されています。

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佐賀県のみなさーん、私は、鳥取県と徳島県同様、佐賀県からもご注文をいただいたことがありません。よろしくお願いします。

明日は、長崎県です。

※本書『心踊る平和憲法誕生の時代』の注文については、こちらから

# by kenpou-dayori | 2013-05-27 07:00 | 憲法公布記念シリーズ
2013年 05月 26日

憲法便り#21 ご存知ですか?シリーズ(第5回) 「婦人参政権はベアテの贈り物ではありません」

ベアテさんが戦後、GHQで働くために5年ぶりに再来日したのは、昭和20年12月24日です。
ところが、それより1週間前に12月17日に、衆議院議員選挙法改正が公布・施行されています。

昭和20年10月9日に、幣原喜重郎内閣が誕生しましたが、この内閣の初仕事は、10月11日の午前中に行なった初閣議において、「婦人参政権」を閣議決定したことでした。

マッカーサーとの初めての会談で話題になったことについては、昨日すでに述べました。

閣議決定以来、帝国議会で論議を重ね、衆議院で議決のみならず、12月17日に枢密院で可決され、直ちに公布・施行されました。

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この選挙法改正により、婦人参政権のみならず、二十歳以上の男女に選挙権が認められ、有権者の数は、それまでの約三倍に増えました。

『ベアテの贈り物』という映画の上映運動が行われてから、主人公のベアテさんが多くの講演に呼ばれていました。
その影響で、日本の女性の権利はすべてベアテのおかげでもたらされたと信じ込んでいる方がかなりいます。
しかし、これは違います。

最初に述べましたように、女性の権利の中で最も重要な「婦人参政権」は、彼女が再来日する一週間前に、日本政府の提案と帝国議会での論議により、憲法改正を待つことなく確立しています。

講演でこの歴史的事実を話しますと、とたんに落ち着きがなくなる人を見かけることがあります。東京のある「九条の会」の講演でこの話をしたところ、驚いたことに、後日、狂信的なベアテ・ファンが、「ベアテさんに失礼だから謝れ」という手紙を寄こしたことがあります。
研究に基づく正確な歴史認識に対して、非論理的な熱狂により謝罪を求めるというやり方は、戦前のファシズムのやり方に通じるものであり、「九条の会」の運動にとって、相応しい態度ではないと思います。

この件については、改めて詳しく論じることが必要かもしれません。

明日は、憲法公布記念シリーズ(第11回)「当時の佐賀県では」

※本書『心踊る平和憲法誕生の時代』の注文については、こちらから

# by kenpou-dayori | 2013-05-26 07:00 | ご存知ですか?シリーズ
2013年 05月 25日

憲法便り#20 ご存知ですか?シリーズ(第4回) 「婦人の解放(社会参加)を唱えたマッカーサー」

いま、安倍首相は得意げに
「成長戦略の中核は女性の活躍」
「待機児解消」
と、何の具体的な保証もないのに、さも女性の味方であるような、無責任な発言を繰返しています。

でも、戦後の歴史を見れば、戦前から女性解放運動を続けていた方々を別として、最初に「婦人の解放(社会参加)」を日本政府に要望する形で公言したのは、マッカーサーです。

それは、昭和20年10月11日午後5時に、幣原首相が新任挨拶のためマッカーサーを訪れた時のことです。
この会談の冒頭で、マッカーサーは幣原首相に対して、「ポツダム宣言」の達成にあたっては「憲法の自由主義化」を前提とすること、そして、改革五項目の速やかな実行の期待を伝えます。
その五項目は、以下の通りです。

婦人解放(社会参加)、
労組結成奨励、
学校教育自由化、
秘密審問撤廃、
経済機構民主化。

最初に婦人解放と書きましたが、これは私が順位をつけたのではなく、幣原とマッカーサーとの会談記録に書いてある通りの順番です。

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この話を始めるに際に、マッカーサーは、
「決して無理なことを期待しているのではない。もしも、無理または実行不可能と考えられることは、忌憚なく指摘するように」と付言しています。

これに対して、幣原首相は憲法には言及せずに、
「閣僚と相談の必要はありますが、五項目を通して実行が全く不可能なことはなく安心しました。第一の婦人参政権の件は、その実施については、閣議において内定しています」と応えています。

これを聞いたマッカーサーは、「素晴らしい。是非とも、そのように実行してほしい」と伝えています。

安倍首相の口先だけの薄ペッらな演説よりも、マッカーサーの五項目の要望の方が、社会的視点が民主的・進歩的です。

明日は、ご存知ですか?シリーズ(第5回)「婦人参政権はベアテの贈り物ではありません」

※本書『心踊る平和憲法誕生の時代』の注文については、こちらから

# by kenpou-dayori | 2013-05-25 07:00 | ご存知ですか?シリーズ
2013年 05月 24日

憲法便り#19 憲法公布記念シリーズ(第10回)「当時の富山県では」 『北日本新聞』編 その3

2013年5月24日付
憲法便り#19 憲法公布記念シリーズ(第10回)「当時の富山県では」 『北日本新聞』編 その3

今日は、昭和21年11月3日付四面と11月4日付二面の紹介です。

ひとつ目は、昭和21年11月3日付四面の上半分。
「老政客五人男の感慨」と題して、写真入りで5人の次の発言を紹介している。

「遠く多難な航路」元代議士 荒井建三翁
「これこそ人間の憲法」山川亨翁
「権利八分 義務十二分」日給十銭からたたきあげた高島義一翁
「生かすも殺すも人間ぢや……と」往年の闘士 菅原滋治翁
「慶賀より反省を 有頂天は禁物」片口安太郎翁

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ふたつ目は、11月3日付四面の下半分。
企業10社と6農業会の祝賀広告は、
「新日本再建 民主憲法公布 平和文化建設へ」とあります。

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三つ目は、11月4日付二面の上半分。
「くにのあゆみの 第一日」「永劫に記念して 県下は祝賀の一色」の記事に付されている写真「街のニコニコ風景」の説明は次の通りです。
1.お祝いのお菓子特配にニコニコ(富山市呉羽国民学校にて)
2.新湊町の慶祝山車……中町の曳山
3.可愛い祝賀おどり『京の四季』 二日夜県会議場での舞踊と音楽の会
4.高岡市中を練り歩く仮装行列
5.大和高岡店前で舞い狂う獅子

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四つ目は、11月4日付二面の下半分。

「富山東二業組合」の45店が連名で出した祝賀広告の言葉は、次の通り。
平和の新しき首途を祝す 民主憲法公布」

二業とは、『広辞苑』によれば、「芸者屋と料理飲食店の営業」です。
芸者さんを呼んだ酒席で、「今日からは、男女同権」などという会話が交わされたかどうか?


なお、二面の上下にまたがった部分に、北日本新聞社が主催する「新憲法公布記念」行事が伝えられている。
1.第一回 富山市学童野球大会 五日~七日 不二越グランド
2.秋の芸術祭(九日 高岡 歌舞伎座、十日 富山 富山座
3.県下 柔道選手権大会 十一日 富山座

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明日は、ご存知ですか?シリーズ(第4回)「婦人の解放(社会参加)を唱えたマッカーサー」です。

※本書『心踊る平和憲法誕生の時代』の注文については、こちらから

# by kenpou-dayori | 2013-05-24 07:00 | 憲法公布記念シリーズ